ことの発端は小さい頃から台所に立たされたことかなあ。
私の両親は2人とも働いており、帰ってくるのは夕方です。
当時は学童保育もありませんので、低学年の頃は学校の近所の親戚のおばちゃんの家で少し時間を潰して帰る日常でした。
何しろ学校から自宅まで2.7キロ
大人の足で30分程度かかりましたから。
小学校4年生位なると親から仕事を与えられました。
その内容は
午後4時ごろ帰ったら、米を洗って電気釜でご飯を炊いておくこと
でした。
それが毎日ですよ!
おやつはりんごがあるから剥いて食べておくこと
サツマイモがあるから切って焼いて適当に食べておいて
そんな感じでした。
知らず知らずに包丁に触る機会が増え、台所にいる時間が増えました。
母親は時々
「あんたは兄弟がいないんやから助けてもらえんのやで、何でも自分でできるようになっとかなあかん」
と話していたことを思い出します。
それと刃物について言えば、家の周りの草刈りなどは当たり前の仕事。
親父が大きな鎌でカヤや雑草を刈ってはそれを研いだりするのは日常です。
見よう見まねで刃物の研ぎ方を覚えました。
川遊びで釣った鰻を小学生5年生の頃にはちゃんとさばいていた記憶があります。
「きょうの料理」だったかな?
土井勝さん👆
こちらは息子さん!
ご存知の方も多いでしょう。
あ〜〜美味しそうやなぁ😃
あんな料理食べてみたいなあ〜
なんというか、自分の日常にないもの食べ物への強い欲望があったのですね。
そんなこんなで時間が過ぎて・・・
もう中学3年生!
当時就職の学生たちも何人かいました。
就職か高校進学かを決める時期でもありました。
そして決意したのです!
ちゃんとした料理学校に行くんや!と
それで大阪の辻調理師学校の願書を取り寄せてみると校長の推薦が条件。
そっか!
昼休み、校長室のドアをノックしました。
あ、ハヤトウリ君、何か用事か?
校長先生にお願いがあります。
調理師学校に行きたいので推薦をお願いしたいのです。
校長はしばらく考え込んでいます。
そして
ところでハヤトウリ君はそのことをご両親に相談してるんかい?
はい、相談しています!
(そこは間髪を入れずを大嘘をつきました)
おお、そうか、ちょっと待っといてよ〜
と言って校長室を出ていきました。
10分ほど待っていると校長の後に母親が!
しまった!
しまった!
島倉千代子や!
はい!
実は母親、小学校の教員で私の中学校と小学校は歩いて5分ほどの距離しかありません。
校長直々に真相の確認に向かったようです。
さぁそれからというもの大人4人(校長・教頭・担任・母親)と私1人の昼休みの対決となりました。
校長曰く
ハヤトウリ君の考えもよ〜わかったよ
そうやけどな、これからはな、高校は出ておいた方がいいと思うのよ。
それでな、高校出てからそっちの道へ進むというのもできると思うよ。
とりあえず高校受験してみやんか?
ウンウンと周りの大人は大きくみんなうなずいている。
(芝居やな)🤣
ここは腹も減ってきた!
しかし高校は出ておいた方が良い事は納得できた。
この事件以来しばらく経って、学校は受験モードに突入していくのでした。
高校に入れれば入ったで、ほぼ大学受験モード。
いつの間にか板前さんの夢は消えていきました。
しかし
私にはなれなかったですが、今でもカウンターの向こうに立つ板前さんやシェフは私の永遠の憧れでもあるのです!
何よりかっこいいじゃないですか?
おいしいものを作ってお客さんを喜ばせるって。
そう思いません?