今月でちょうど親父が亡くなって丸2年、3回忌となります。
親父にとって22歳までは戦争と共に生きてきた時代でした。
ちょうど22歳が終戦の年(1945年)ですからね。
小さな頃から軍隊の話などをちょこちょこと私にしておりましたが、親父が死んでしまって、今その時の記憶をたどって、その言葉のカケラでも残しておかねばと思って今回となりました。
親父の話した内容を全て覚えているわけではありません。
親父自身の記憶も曖昧なのかもしれないです。
しかも年代などもあやふやですが少し紹介させていただきます。
途中B29とか零戦という言葉が出てきますが、知らない方も多いと思いますので最初に紹介しておきます。
B29爆撃機とは
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零戦とは
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軍隊の話
軍隊に入る前に身体検査があるんやけど、目が悪かったさか甲種合格にはならんと乙種でやっと合格したなあ。
兄貴は体が大きかったさか甲種やった。
甲種はりっぱな日本男児、それ以外は残念みたいな感じやったなぁ
それこそ軍隊に入るときには村中の人たちが集まって「お祝い」してくれた。
当時田舎でもラッパなどで演奏してくれて映画みたいに送り出してくれたんや。
軍隊に入ったらとにかく殴られることばっかりやった。
なんで殴られてるのかがわからんこともあるし、連帯責任やと同じ仲間の連中がみんな交代で立てなくなるまで殴られたり蹴られたり。
とにかく殴られん日はなかった位やな
よう両耳から血出したこともあったよ
そうやけど一応飯だけは食べれたなぁ。
軍人勅諭を覚えなあかんかったから、これ覚えんとまたどつかれるんや。
軍人勅諭
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いちどご覧ください。これを陸軍では暗唱できるよう覚えさせるんですよ!
そのかわり覚えたら、休みに家へ帰らせてくれるんよ。
もう帰りたいばっかりで、夜中消灯になってから便所行って薄暗い電気の中でそれを一生懸命覚えたよ。
ある時、夜警邏に回とったら少し年上の上官が寄ってきたんや。
何用かなと思ったら
お前ハムというものを食ったことがあるか?
と聞くさかい、ハムとは何か知りませんと答えたんや。
そら知るはずないやろ、田舎もんやし
そしたら「ついて来い」と言って上の人たちの部屋へ連れて行かれたんやな。
そしたら、ぎょうさんのご馳走が並んどってん。
ほんで将校らがそれを肴に酒飲んどって。
そしたらそこにある切り株みたいなハムを厚さ2センチ位切って渡してくれたんや。
そんなもん生まれて初めてや!
そらうまかったなぁ!
今でもあの味はよう忘れんなあ。
そやけど思たよ
世の中食いもんがないとみんな苦労してるのに、あるとこにはあるんやなぁと。
次回に続く