11月22日は「いい夫婦」と読めることから「いい夫婦の日」だそうです。
なんか役所に婚姻届を出すカップルも多かったとか。
そしてもう一つの記念日がありました!
11月22日は、和歌山県誕生150年の「ふるさと誕生日」です!
和歌山県の資料からの引用です!
明治4年11月22日の紀州3県(和歌山・田辺・新宮)の統合により、現在の和歌山県が誕生したことが由来となっています。
紀伊半島に位置する和歌山県は、古来「紀伊国きのくに」と呼ばれていました。
国内には、伊都・那賀・名草・海部あま・安諦あて(在田ありだ)・日高・牟婁の7つの郡があり、国府は今の和歌山市府中に置かれていました。
以降、室町時代までは地方豪族や在地武士団の盛衰が繰り返されますが、天正13年(1585年)の豊臣秀吉の紀州攻めによって、一応の平定をみることとなります。
関ヶ原の戦い後、浅野幸長が若山城に入り紀伊を治めましたが、元和5年(1619年)、紀伊と南伊勢を合わせた55万5千石の紀州藩主として、徳川家康の第10子頼宣が若山城に入城し、紀州藩は徳川御三家として重きをなしていました。
このとき安藤・水野両家老が田辺・新宮に支藩として配され、それぞれ田辺城(3万8千石)と新宮城(3万5千石)を治めていたようです。
私は三万五千石は田辺だと信じていたのですが!!
明治2年(1869年)紀州藩は、和歌山藩・田辺藩・新宮藩の3藩に分けられます。
明治4年(1871年)廃藩置県によりそれぞれ藩から県に変わり、同年11月22日に3つの県と五條県の旧高野山領が統合され今日の和歌山県が誕生しました。
紀伊国・和歌山県の由来
和銅6年(713年)に、二字の好字を用いて国名をつけるようにとの中央官令があり、この時から「紀伊国」と表記されるようになりました。
『日本書紀』ではこれを「きのくに」と訓よみ、これは本県がはじめ「木の国」と呼ばれていたことに由来します。
また、「和歌山」の名の由来ですが、元々、和歌山というのは上代の国府、藩政時代の藩主の居住地であった地の呼び名です。
その名の由来については諸説あるうち、昔から和歌浦の名が最も知られていたので和歌山の名ができたという説が有力です。
藩政時代には「若山」に統一された時期もありましたが、再び「和歌山」に改められました。
ということらしいです。
和歌山県に住んで長いですが初めてし 知りまました。
地元の歴史を振り返るのも面白いですね。