新しいことが起こったり新しいモノが開発されたり販売されたりします。
長い歴史の中でその評価が逆転する出来事もあります。
例えば、漫画、ゲーム、テレビ、ラジオ、インターネットを考えてみましょう。
私たちが子供の頃、少年少女向け漫画雑誌が発売されていました。
今から考えると漫画の技術的も当時はかなり大雑把だったと思います。
それでも一生懸命漫画を読んでいると大人たちから「漫画ばかり読んでるとだめ、バカになるぞ、もっと本を読みなさい」とか説教されました。
ところが今や日本の漫画は世界をリードするとまで言われていますし、もはや文化としてその地位を確立しているのです。
ゲームについてもそうです。
子供がゲームに夢中になっていると「ゲームばっかりしないで勉強しなさい」というお説教が必ず出てきます。
ところが今やゲームも専門学校まで登場するような地位を築いてきています。
テレビも同じです。
「テレビばっかり見てると× × × ×」
ラジオもそうです。
「深夜ラジオばっかり聞いてると× × ×」
他の事例も大体同じようなものです。
つまり新しく出現する事物に対して日本人って本当に警戒感がつよいのです。
私もグループサウンズ時代に育ってきた人間ですが、髪を伸ばしてエレキギターを持てば立派な「不良」と大人は認識していました。
私が小学生の頃は若者が「喫茶店」に入ると不良扱いされたものです。
もう少し古い話をしますと、皆さんは二宮金次郎という人をご存知でしょうか?
貧しい家庭に生まれ、農作業しながら勉学に励み立身出世をしたということで、勉学の重要性を強調するために銅像が建てられたのです。
ところがです、この人の生きた江戸時代後期には子供が本を読むなどという事はとんでもない「ナマクラ」な行為と捉えられていました。
「本なんか読む暇があるならしっかり働け!」の世界でした。
なので二宮金次郎は「じゃぁ働きながら本を読めば文句はないだろう」と抵抗していたのです。
新しいものに興味を持つのはたいてい子供や若者たちです。
物事をしっかり吟味しなければいけませんが、大人が見て??と思うようなものに子供や若者が興味を持つのは何か魅力があるからでしょう。
そして将来それはごく当たり前の文化になっているのかもしれません。
一方大人はいつでも保守的と言われるのかもしれませんね。