その1 からの続きとなります。
シィーは黒板にチョークで書かれた難しい数表を記憶できました。
具体的に言えば1から100までの数字をデタラメに並べて書いても一度で見て覚えてしまうのです。
要求されればその数表を順方向にも、反対方向にも、対角線の順番にでも言うことができたのです。
そしてルリアが十数年後に全く同じテストをしたときも、シィーの記憶は全て完璧な記憶だったといいます。
彼にとって記憶した数列などは私たちが写真を見ながらその風景を話すようなイメージだったのでしょう。
シィーには幼児の頃から、「共感覚」とよばれる現象がありました。
音を聴くと色や形が見えたり、色や形を見ると音が聴こえたり、匂いを感じたりする現象です。
ルリアが50Hzの音を聴かせたところ、彼は、
「暗い背景に赤い舌を持った褐色の線条が見えます。その音の味は甘酸っぱく、ボルシチに似ていて、その味覚が舌全体を覆っています。」
と報告しています
ルリアはこれらの共感覚が記憶の情報と結合し彼の記憶の正確さを保証しているのだろうと考えました。
シィーはまた、自分の心拍数や体温を随意にコントロールすることができたようです。
例えば、汽車を追いかけるのをイメージして心拍数を上昇させ、眠っている自分を想像して心拍数を減少させたりできたのです。
彼の空想の世界はあまりにも鮮明で、空想の世界の実在性を経験することもしばしばあったようです。
そうしたエピソードのひとつです。
少年の頃、想像の中の彼は学校に出かけたのですが、そこへ父親が入ってきて、まだ自宅にいる現実の世界に引き戻されたそうです。
シィーの記憶は、視覚化と共感覚によってその正確さを保証されていました。
しかし、逆に、視覚化したものの記憶は、共感覚によって引き起こされる視覚像によって邪魔されることもしばしばありました。
彼はルリアに人の顔の記憶について愚痴をこぼしていたそうです。
「人の顔は、人の気持ちの状態や、どういうときに会うかによってしょっちゅう変わり、そのニュアンスはメチャメチャになります。」と。
彼にとってはかえってこういう方が苦手だったのです。
長い物語や詩の理解も、彼にとっては苦手なもののひとつでした。
つぎつぎに浮かび上がってくる視覚像に邪魔されてしまうからです。
小説などでは、本質的なものを理解するためには非本質的のものを捨てなければなりません。
ところが彼にはそのようなことが不可能だったのです。
彼は特異な才能を獲得しました。
しかしそれと引き換えに、彼の中につぎつぎと生じる視覚像のために抽象的な思考は妨げられました。
また、しばしば、現実と想像の世界の区別を失うという異常な世界に生きて行かなければならなかったのです。
結局この特異的な能力を持ったシィーは、自分の持つ能力ゆえに悩み苦しみながら社会生活を送らなければいけない状態に陥ってしまいました。
つまり「記憶」が頭の中にとどまり、シィーのような優れて正確な記憶の持ち主が普通の生活すらままならない。
これは逆に考えると、私たちの記憶というものは「正確に情報を記録するためのもの」ではない・・・ことを示しているのではないでしょうか。
つまり記憶は常に薄れたり変わっていくものであって、それが記憶というものの本質なのではないでしょうか。