その1 からの続き・・・・
角幡さんが考えるに、基本的にイヌイットは猟ができると思っているのです。
そこには大地に対する信頼感があるといいます。
犬ぞりもそうですが、いざ危機が差し迫った時に犬たちがそれを判断してくれなければなりませんし、そうできないかもわかりません。
そこには制御不能になる可能性がある中での犬との信頼がお互いになければならないのです。
わからない「他者」を認め合う中で交渉の余地と可能性が生まれるわけです。
例えば盲導犬が人間の顔色ばかりうかがうのでは、人の安全は守れません。
日頃私たちは100%リスクのない、制御可能なものを信頼したがります。
しかしイヌイットの狩りは違うのです。
強い自分が相手を征服するというイメージはそこにはありません。
獲物を取るには、相手が現れる場所や時期など相手の調子に合わせることが必要です。
それには相手に合わせて自分を変えなければなりません。
つまり狩りには、土地や動物の事情に組み込まれることが一番効率的なのです。
そういう過程を通じて土地への信頼が生まれたり、土地の色合いや風景が自分のものに変わっていくのです。
このように「相手に合わせる」「相手の中に入り込む」という視点は実は大変大事なものなのです。
例えば医療や介護の現場を見てみましょう。
まさに現場で今起こっていることが「現実」です。
医療従事者や介護職員はその日の仕事の計画をあらかじめ立てます。
例えば〇〇さんは何時から何時まで入浴と。
しかしその時間に〇〇さんは入浴を拒否するかもしれません。
その入浴を拒否する〇〇さんにどう対応すればいいのか?
人手不足の現場の状況は大変厳しいですが、本来であれば予定の計画を保留にして〇〇さんの声に耳を傾けることが必要なのではないでしょうか。
そうすることによって〇〇さんを見る解析度も変わってくるはずです。
さて、イヌイットを通じて大きく人間と生態系の話になります。
1990年代イヌイットの狩猟の対象であるカリブーの絶滅が危惧されました。
そのためこれまで狩猟を行っていた地域を禁猟区としました。
カリブーは増えるはずでしたが、実はその間にカナダから大量の狼が禁漁区に入り込みました。
人間がいないのでカリブーはほぼ絶滅まで追い込まれてしまいました。
つまり地域の生態系の頂点は「人間」であったわけです。
人間も自然の一部であるという視点を抜きに生態系を管理しようとした結果がこれでした。
人間を頂点として自然がコントロールされている、もしくはそうすべきだと考えていると大きな間違いを犯す可能性があります。
なぜなら人間も自然のほんの一部にすぎないのですから。