hayatouriの日記

はやとうり の独り言

かあさんのうた・・・

 

少し前、治療院に来られたヘルパーさんの指に痛そうな「あかぎれ」がありました。


家事援助やお風呂介助などお仕事の大変さがよくわかります。


アルコール消毒をするので手を差し出してもらったときにわかったのです。


そこで私は

「昔はあかぎれに生味噌をすり込んだらしいですよ」とお話したのですが、ずいぶん驚かれておりました。


まったく想像しただけで逆に痛そうです💦


実は「かあさんの歌」の中にその歌詞があるのです。
 


かあさんの歌
窪田聡作詞・作曲


 
かあさんは(注) 夜なべをして


手ぶくろ 編(あ)んでくれた


こがらし吹いちゃ つめたかろうて


せっせと編んだだよ


故郷(ふるさと)のたよりはとどく


いろりのにおいがした

 


かあさんは 麻糸(あさいと)つむぐ


一日 つむぐ


おとうは土間(どま)で 藁(わら)打ち仕事


おまえもがんばれよ


故郷の冬はさみしい


せめて ラジオ聞かせたい

 


かあさんの あかぎれ痛い


生味噌(なまみそ)をすりこむ


根雪(ねゆき)もとけりゃ もうすぐ春だで


畑が待ってるよ


小川のせせらぎが聞える


なつかしさがしみとおる

 


(注)「かあさんが」となっている歌集もあるようです。

 


今の若い人たちはこの歌を知らないかも知れませんね。


歌詞もそうですが、あの独特の哀愁というか物悲しいメロディーが本当に忘れられません。


この歌には作者の当時の人間関係や社会情勢が反映されています。


少しご紹介させていただきます。

 


この歌は昭和33年(1958)発表されました。
 
作詞・作曲者の窪田聡(本名:久保田俊夫)は昭和10年(1935)東京生まれ。戦争中は長野県の信州新町疎開していました。現在は岡山県瀬戸内市牛窓にお住まいです。


彼は進学校として知られる開成高校に進みましたが、太宰治に心酔してデカダン(頽廃的)な生き方に憧れ、授業をさぼって映画・たばこ・酒に耽溺する日々を送っていました。


やがて進学の時期が来ました。
 
同級生たちのほとんどが有名大学をめざすなか、彼は文学で生きていく決意を固め、親が準備してくれていた入学金・授業料をもって家出してしまいます。 
 
安下宿に隠れ住んで、就職しましたが、そのかたわら、音楽が好きだったので、中央合唱団の研究生になりました。
 
しかし、給料が少なく、食べていくのがやっとの生活で、文学どころではありません。


そのころ、共産党系の人たちが中心になってすすめていた「歌声運動」に多くの若者たちが惹きつけられていました。
 
窪田もその1人で、楽しそうに歌う人びとの姿が、彼の目にはまぶしく映りました。 
 
とうとう彼は、文学を捨て共産党に入党します。


母親から小包が届き始めたのは、そのころでした。
 
両親の意を受けた次兄が、彼の下宿を探し当てたのです。
 
小包には、彼の好きな食べ物や手編みのセーター、ビタミン剤などとともに、「体をこわさないように」といった母親の手紙がいつも入っていました。


高校の同級生たちの多くが有名大学に入り、高級官僚や一流企業の社員になっていきましたが、彼はアコーディオンを抱えて、全国を歌声指導しながら回る生活を続けていました。
 
この歌は、そうした生活のなかで、母親への思いと疎開時代に見た田舎の光景とが重なって生まれた歌です。 
 
その後「ダークダックス」や「ペギー葉山」なども歌い始め、NHKの「みんなのうた」に取り上げられた段階で大ヒットとなりました。

 

いろいろ背景があったのですね。

 

ちなみに「日本童謡の会」の「好きな童謡」のアンケート結果は以下の通りです。
 
1位 赤トンボ
2位 故郷(ふるさと)
3位 赤い靴
4位 みかんの花咲く丘
5位 夕焼け小焼け
6位 七つの子
7位 ぞうさん
8位 月の砂漠
9位 しゃぼん玉
10位 里の秋
 
並べてみるとわかりますが、ほとんどの曲で日本の自然が題材になっています。
 
しかしこれらで歌われている風景はだんだん失われています。
 
もはや童謡の中だけの心象風景になってしまっているのかもしれません。