a =bの概念がわかるのは人間だけだといわれています。
a =bはそれぞれが「等しい」、もしくは「同じ」という意味です。
よく考えればずいぶん抽象的な頭の使い方をします。
例えばイヌが大勢の人間を見たとします。
イヌは大勢の人間を「人間」という概念でひとくくりにしません。
個別のヒトが大勢いると理解するようです。
チンパンジーも98%人間と同じ遺伝子を持っていますが、この「等しい」という概念は持っていないようです。
簡単な例をあげますと、リンゴを持ったチンパンジーとバナナを持ったチンパンジーが、リンゴとバナナをそれぞれ「同じ価値」だと認めて交換しあうことはないからです。
ところが教育者に聞くと、まれに学生の中にこれが理解できない人たちが出現するそうです。
なぜならaとbは全く違う字ですから、どうして同じなのか理解に苦しむわけです。
aはあくまでa、bはあくまでbだからです。
もしそれが本当ならアルファベットのbを全部aに置き換えてもいいじゃないかなんて考えるそうです。
2X= 6
X =3
これだって=の左右が同じ数字ではありません。
XはあくまでX、3はあくまで3でしかありません。
ここまで説明すると、思わず皆さんもこういうことにつまずいた学生たちに共感するのではないでしょうか?
なるほど!それも一つのとらえ方かと。
難しい言葉で言えば「感覚所予」といいますが人間以外の動物はそういう捉え方をするようです。
もちろん最初にここでつまずいた学生さんたちも勉強していくことによってこの壁を乗り越えていくそうです。
つまり= は「交換可能」を意味します。
人間は意識の中でそんな概念を作り出すことができるのです。
このように「交換可能」の概念は人間の生活や社会の中で様々なところに現れてきます。
まず貨幣制度が普及するには等価交換が成り立たなければなりません。
貨幣制度の最初は物々交換から始まったといわれています。
ただしこういう場合はどうでしょう。
リンゴ農家のAさんは秋でないとリンゴの収穫はありません。
今、魚が欲しいAさんには物々交換するものがありませんが、漁師Bさんのところに行きます。
そこでAさんは「秋になったらリンゴ10キロを持ってきます」と誓約書を書いてそれに相当する魚をもらってくることになります。
今度はBさんがその誓約書を元手にCさんの持っている洋服と交換することが出来るとしましょう。
結果Cさんは秋になってAさんからリンゴを10キロもらえることになります。
つまりこの誓約書(手形のようなもの)が大がかりに使われる事によって貨幣制度の始まりとなりました。
ではこのように「等しい価値」を理解できる人間は一体いつその能力を獲得するのでしょうか?
つづく