さて昨日の続きです。
アメリカに1人の研究者がいました。
彼は自分の子供が生まれた時に、同じように生まれたチンパンジーの赤ちゃんを探してきて兄弟みたいに一緒に育てました。
理由はもちろん人間とチンパンジーの発達の違いを確認するためです。
生後3歳まではどう見てもチンパンジーの方が上でした。
運動能力が高いし、何をさせても人間の子供より上手にできました。
ところが4歳から5歳になってくるとこれが逆転します。
チンパンジーも体は発育しますが頭脳の発達が止まってしまいます。
学者は3歳から5歳までの間に人とチンパンジーを分ける何かの能力が人間に備わると考えました。
わかりやすい1つの実験があります。
3歳児と5歳児に舞台を見せます。
舞台には全く同じ箱Aと箱Bがあります。
1人のお姉さんが箱Aにぬいぐるみを入れた後、舞台の袖に隠れます。
次に別のお姉さんが箱Aからぬいぐるみを取り出し、箱Bに移し替え舞台の袖に隠れます。
ここで最初のお姉さんが舞台に登場し、舞台を見ている3歳児、5歳児それぞれに研究者が質問をします。
「お姉さんは箱A、箱Bのどちらを開けるでしょう?」
皆さんはどう思われますか?
答えは明確に出ました。
3歳児は箱Bと答えます。
なぜなら実際にぬいぐるみは箱Bに入っているからです。
つまり3歳時にとっては自分の知識が全てなのです。
5歳児ならどうか。
5歳児は「お姉さんは箱Aを開ける」と正解を出します。
5歳児は考えます。
「お姉さんはぬいぐるみが箱Bに移されたことを知らないから、元の箱Aに入ったままだと思っているに違いない」と。
これは「自分があのお姉さんだったら」とお姉さんと自分を置き換えることができていることなのです。
ところが3歳児は「自分が箱Bにぬいぐるみが入っていることを知っているから、お姉さんも知っているはずだ」と単純に考えてしまいます。
相手と自分を入れ替えて考えられる能力は人間の社会性の源となっています。
ですから一般社会ではモノを奪い合うようなこともなく、力ずくでリーダーを決めることもありませんし、その必要もありません。
言い換えれば民主主義の原点ともいえます。
一方、このような思考は社会の「同調性や同一化」を不可避的に進めてしまいます。
トレードオフ(何かを得れば何かを失う)という概念があります。
例えば国と国との戦争などの人間にとっての危機的事態は「同調性や同一化」が極端に先鋭化した現象だともいえます。
結構ディープな話になってしまいましたが、人間の持っている特性ゆえにそのトレードオフもあり得るということです。
しかしまた極端な「同調性や同一化」を止めることができるのもまた人間の能力なのです。
その意味で、他者と自分との「内なる交流」が始まる幼児期、子供たちはいっそう大切に保護されるべきなのです。