昨日の続きです。
学校で21年1月、保護者アンケートを実施すると、100人超から回答が寄せられました。
実は通知表廃止に対する激励は多かったのです。
「わが家は賛成。テストや宿題で子どもの得意、不得意は分かる」
「数字だけでは評価されない、細かい部分まで見てくれていた」
「日常を評価してもらい、子どもにとってより励ましを得られている」
一方で、懐疑的な意見もやはり少なくありませんでした。
「日ごろ頑張ってきたことが一目見て分かるものだったので、なくなってしまいとても残念」
「中学校でも社会に出ても評価はつきまとう」
「この先ずっと競争が続くのだから、自分がどの程度のところにいるのか知っておくべきだ。塾なら模試などで分かる。学校が塾を推奨しているように感じる」
国分校長は「校長室に遊びに来た子から『ほめられるために頑張ってきたのに』と復活を求められることもあった」と語ります。
それでも、思いは揺らいでいませんでした。
「5年後、10年後に子どもがどう変わったかが見たい。もうちょっと頑張らないと」と話します。
通知表廃止は2年目を迎えました。
この時点で、子どもたちに目に見える変化は現れていません。
それでも、教員は変わってきていたのです。
通知表がなくなったことで、子どもに優劣を付けるのが当然という発想から自由になったのです。
21年10月の運動会です。
コロナ禍で種目数を減らしたこともあり、これまで紅白対抗で点数を競っていたのをやめました。
4年の担任だった教諭は同僚と話し、学年の団体競技「台風の目」での目標を「本番で練習よりタイムを縮める」に決めました。
5クラスが一斉に走り、順位は付きました。
これまで、順位が発表されると1位のクラスは大喜びするが、3位、4位となると冷めたようなリアクションにとどまっていました。
しかし、この日は違ったのです。
子どもたちは順位より、何秒で走り切れたかに注目していました。
「5秒くらいは縮まったんじゃない?」
ワクワクとどきどきが入り交じった、そんな声が漏れていました。
1組から順にタイムを発表。
そのたびに大歓声が上がり、クラスの仲間とハイタッチしたり、「すごい!」とたたえ合ったりしています。
5クラス全てが記録を更新していたのです。
最下位だったクラスの子どもも「自己ベストが出たよ」と大喜びで校長室に報告に行きました。
教諭は「目指す評価はこれだ」と確信したといいいます。
つづく