たとえば、東京日本橋に本社をおく繊維商社のツカモトコーポレーション。
近江商人の流れを汲む企業ですが、江戸時代に近江を出て最初に出店したのが山梨でした。
その後塚本一族は東京に出店先を移して事業を営んでいましたが、明治末期に山梨を未曾有の水害が襲いました。
事態を知った創業家3代目の塚本定右衛門は、その復興緑林費用を拠出したのです。
定右衛門はこの時135haを造林しました。
一帯の山はいまでも「塚本山」として現在に至るまで、山梨県の見本林として保全され、優良なヒノキ、スギの生産地となっています。
ほかにも秩父に進出した矢尾一族は、現在の矢尾百貨店の基礎を築いています。
秩父では八尾百貨店は地域に根ざした非常に有名な会社です。
秩父一帯が飢饉を見舞った時に、八尾商店は酒造米を放出し、地元の人々に分け与えたりするなど「三方よし」の考えを貫き、地元に貢献しました。
明治時代、政府のデフレ政策で一帯が窮乏に陥り、これを背景に起こった秩父困民党の騒動が起きました。
一帯の金融業者が焼き討ちにあいましたが、同様に金融業を営んでいた矢尾商店は難を逃れているのです。
「地元のために尽くしてきた店だから、商売を続けていい」と暴徒化した秩父困民党に言われ、炊き出しの要請を受けたといいます。
矢尾百貨店は地域になくてはならない存在として、いまなお広く秩父市民に支持されています。
商人が地域の公益性を重視した活動をしてきたのは、近江商人に以外でも見られます。
たとえば観られた方も多いと思います。
映画『殿、利息でござる!』
(余談ですが、羽生結弦がお殿様役で出てました!)
私も観ましたが、実に面白い映画です。
このモデルとなったのは仙台藩、吉岡宿の造り酒屋・両替商の浅野屋です。
浅野屋は、重税などで疲弊していく宿場町一帯の町民、村民を救わなければならないと私財を元に仙台藩に貸付をします。
その利息で宿場町の復興を実現しています。
藩に金を貸して利息を取るという発想がすごいですよね!(^^)!
浅野屋は地元民にとってはがめつい両替商とみなされていましたが、それは地域に飢饉や災害などの不測の事態のために、準備していたからなのです。
そのことを知った地元の有力者たちも限りある私財をなげうち、貸付のための元手としたのです。
この辺りの経過も映画の中で詳しく描かれていますので興味のある方はぜひご覧ください。
こうした例は、おそらく全国にあったでしょう。
しかし近江商人の公共性に対する意識は他の商人に比べても高かったようです。
滋賀県同友会の副幹事を勤める藤野商事の社長の藤野滋さんらは、現代に至る代表的商家の38社の家訓を調べました。
近江商人に関して、特徴的なことがわかったといいます。
「公共性」と「利潤」はわかりやすく言えば相反する2つの性格を持っています。
企業は公共性を強めれば、利潤が低下することになりますし、利潤追求を進めれば公共性が低下します。
一般的に企業は、利潤も公共性も低い第一領域から始まります。
そして成長するに従い利潤の高い(しかし公共性はあまり高くない)第二領域に向かいます。
次に利潤も公共性も高い第4領域に向かっていくのです。
日本の大企業も昔は個人商店からスタートしていたことを考えればわかりやすいかと思います。
しかし家訓からみる限り、近江商人は第二領域から第4領域に向かうのではありませんでした。
利潤が低く公共性の高い第3領域に向かっていくことがわかったのです。
つづく