インターネットなどの通信機器も普及し、仕事も昔のように会社という場所に囚われることなく、場所を選ばずに行えるようになりました。
ネットが普及し情報社会に置き換わると、誰でも情報を集めることが容易になり、時代の流れは速く厳しくなったものの夢を持つ若者は昔に比べ増えているように感じます。
そんな今の時代の若者が抱く「夢」の在り方に言及する北野武さんの言葉が話題になりました。
今の時代に当たり前だと思われている考え方。
親や教師が教えている常識。
厳しい時代を生き抜き、色々な経験を重ねてきた武さんだからこそ語れる言葉にはすごく重みがあり考えさせられるものがあります。
少し長い文章にはなりますが、是非時間のあるときにご覧ください。
以下引用
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今の社会は、夢を持てとか、自分らしさを生かせとか、やたらとそういうことを子どもたちに強調する。
道徳の授業もそうらしい。
夢に向かって努力することが生きる喜びになる、なんて書いてある。
貧乏だった時代には、そんなこといわなかった。
「清貧」が、あの時代の道徳だったはずだ。
最近の道徳の教科書に、そんな言葉は見つからない。
清く貧しく美しくなんてのは、もう流行らないらしい。
節約とか節制なんて言葉もあまり見かけなくなった。
時代が変われば、道徳は変わるのだ。
だけど今の人類が置かれた立場を考えれば、
むしろ夢をかなえようなんてことより、清貧の方が大事なんじゃないの、と思う。
人間がじゃんじゃんエネルギーを消費して、地球の平均気温がじわじわ上がって、近頃は異常気象が当たり前になってしまった。
5月に台風が来たり、気温が30度を超えたりしても、今じゃ誰もたいして驚かない。
東日本大震災のときは、節電しないと夏を越せないとかいって、東京の夜は暗くなった。
自動販売機が電気の無駄遣いだと目の敵にされた。
昔の夜が戻ってきたみたいで、こういうのもいいなあなんて思っていたけれど、しばらくしたらまた元通りのピカピカな夜が戻ってきた。
節電なんて言葉もどこかへ行ってしまったみたいだ。
だけど、地球上で起きている問題の大半は、人間があまりにもエネルギーだの資源だの食糧だのを無駄遣いしているから起きているという事実は変わらない。
中国の14億人が、アメリカ人と同じくらいエネルギーを消費するようになったら、地球は保たないなんていわれている。
このままではどう考えたって文明は破綻する。
現代人は今すぐにもライフスタイルを改めなくてはいけないはずなのに、その話はいっこうに進まない。
節電や節約くらいで、この問題が解決するとは思えないけれど、それでも解決に向けた最初の一歩にはなる。
それは誰もがわかっているはずなのに、そういうことにはあまり真剣にならない。
節電だの節約だのは、結局のところ経済活動のマイナスになるからだ。
つづく