これまでブログの中でも紹介しましたが、私の実家は現在空き家になっております。
両親が住んでいましたが他界したので、家の中の荷物を全部運び出し管理している状態です。
それなりの広さの畑と大小の小屋などを入れると五棟の建物が立っております。
相続人は私だけなので相続の手続きは問題なく進みました(とは言え少しバタバタしましたが・・・)。
その中で気になっていたのが、私名義になった畑の中の一筆に抵当権が設定されているという事でした。
そもそも抵当権とは債権者(お金を貸す側)の立場からすれば、お金を貸したとき担保となった土地や建物から債権の弁済を受ける権利のことです。
皆さんもご存知だと思いますが、抵当権が設定されていても不動産売買は可能です。
売ってはいけないという決まりはありませんので売買すること自体に問題はありません。
しかし基本的には抵当権を抹消後の売却、もしくは売却と同時に抹消することが一般的なのです。
なぜなら、実際に抵当権付きの不動産購入はリスクが大きく、なかなか購入を希望する人がいないのが現状です。
私も現実的に実家の処分を考えていたので、いずれはこの抵当権の抹消についてチャレンジしなければならないと考えていました。
私と同様に、相続した土地に抵当権が設定されていたという方もいるかも分かりません。
私の知人でも代々引き継いだ土地を相続して、その土地を売ろうとして初めて抵当権が設定されているのを知った人が何人かいます。
そこで今回は、私の抵当権抹消の経験をブログにあげてみたいと思います。
早速、今回の抵当権設定の背景を見てみます。
この内容は登記簿に詳しく記入されています。
ちょっと難しいですがご辛抱下さい。
織田信長(仮名)は、
明治30年2月19日 債権額「金33円75銭」を
豊臣秀吉(仮名)に
弁済方法として
「明治30年2月より明治37年7月まで90ヵ月間毎月金37銭5厘返金」
を条件として貸付けました。
これには利息の定めもなく損害賠償金の定めもありませんでした。
これを担保するために、当該土地につき豊臣秀吉から抵当権の設定を受け、管轄登記所において明治30年2月22日に抵当権設定登記を行いました。
簡単に言えばこのような経過です。
そもそも登記の歴史を遡れば、明治19年、フランスの登記制度にならい登記法が制定されます。
治安裁判所に登記簿が備えられ、ここで登記事務を行うことになりました。
この時期に作成された登記簿のひとつが「地所登記簿」です。
この登記簿には、主に不動産の権利関係が示されており、不動産の物理的現況を示すものとして別に「土地台帳」が作成されました。
地租は土地台帳に記載された地価を基準に課税されるようになりました。
明治29年、民法が制定されるとこれに対応するため、明治32年に「不動産登記法」が制定されました。
このような歴史を考えた場合、私の場合のように明治30年位からきちんと権利関係が登記されるようになったと考えられます。
さてこの登記を私と担当する司法書士はどのように外すか考えました。
私は供託により「弁済」することにしました。
つづく