昨日の続きです。
ではその「通し矢」はどのような競技だったのでしょうか?
少し調べてみました。
何種類かの競技に分けられます。
大矢数
一昼夜、縁側の端から端まで射通す矢数を競うもの。大矢数で日本一になった者は「惣一」とか「天下一」と言われ非常な誉れであった。
日本武道全集第三巻、日本弓術.馬術史よると、延べ823名が挑戦し、延べ41名、実数26名が「惣一」を成し遂げている。
日矢数
半日間に射通した矢数を競うもの。
千 射
矢数を千と定めてそのうち、何本通せるかを競うもの。
百 射
矢数を百と定めてそのうち、何本通せるかを競うもの。
半 堂
少年のために距離を半分に縮めて上の各種の競技を行うもの。
現代のスポーツも体重別や距離別など様々な視点で行われています。
当時もそれに似通った分別をしていた事に驚きますね。
競技の様子が絵に残されています。
射手はどうやら座っているように見えます。
立ち上がった状態で矢を放てば軒に当たってしまうか、飛距離が伸びないのではないかと考えられます。
床からの軒までの高さを最大限有効に使い、飛距離を稼ごうと思えば、低い位置からの強い打ち出しが必要だったのでしょう。
またその周りには、現在で言うところの「コーチ・スタッフ」とおぼしき数人が見受けられます。
この件についてはまた後ほどご紹介したいと思います。
そして競技を進行するためには必ず「審判員」が必要になります。
堂 見
審判役で、通し矢の成否を見定めて旗を振る。
六名の堂見の責任において記帳された矢数帳を確認し、判印を押して証明する役である。
検 見
六名の堂見の責任において記帳された矢数帳を確認し、判印を押して証明する役である。
現代で例えば、野球のアンパイヤと公式記録係というような感じではないでしょうか。
つづく