前回の続きです。
千鳥は後に平清盛に出会う場面で、自分のことを語る際「俊寛が養子、千鳥という薩摩の海女」と叫びます。
千鳥が俊寛に対して強い思いを持っていたことが感じられます。
実はこの千鳥、鬼界ヶ島にて成経と俊寛や流人立ち会いのもとで三三九度の杯を交わしております。
もちろん島には祝の酒や杯などはありません。
ですから山の湧水をお酒とみなし、磯の貝殻を杯として慎ましく、しかし皆に祝福されて杯を交わしたのです。
その時に俊寛はこの2人の恋を大変喜び、「今日より親子の約束、我が娘」と千鳥に語りかけます。
千鳥からすればこの時から既に、俊寛とその妻東屋は「親」となっていたのです。
そして千鳥から見れば平清盛は、まさに「親の仇」です。
俊寛を鬼界ヶ島に置き去りにし、その妻東屋を手にかけた平清盛に戦いを挑みますが、結局清盛の手によって命を奪われてしまいます。
ただこのあたりで少々気になることがあります。
都に戻った後の成経との関係です。
流刑地で罪人と地元の女性との恋愛関係はよくあったことだと考えられます。
しかしそれはあくまでも流人が流刑の地で暮らし続けているということがその関係を保つ前提です。
今回の場合では、流人となった貴族の成経と海女の千鳥が夫婦となれたのは鬼界ヶ島であればこそ。
都に帰ってしまえば成経は立派な貴族。
どこのものともわからない海女との契りは、やはり高貴な世間ではで受け入れられるものではないでしょう。
都で暮らす千鳥がとても幸せな暮らしを送れるとは思えないのです。
近松門左衛門もおそらくそう考えたのでしょう。
やはり都に帰るよりも早く千鳥の不幸は訪れてしまいます。
途中で潮待ちをしているところに、平清盛と後白河法皇が乗った船が通りかかるのです。
もともと後白河法皇を暗殺しようと企んでいた清盛は、きっかけをつかんで法皇を海に投げ込んでしまいます。
沈んでいく後白河法皇を、海に慣れた海女の千鳥が逆巻く波に飛び込んで助けあげるのです。
それが清盛の逆鱗に触れます。
千鳥も精一杯の抵抗しますが結局このことが原因で命を奪われてしまいます。
それが今回のブログの最初の方で紹介した千鳥と平清盛の出会いの場面です。
ただしこの場面は歌舞伎『俊寛』には登場しません。
簡単に俊寛と千鳥の関係をご紹介させていただきました。
歴史的人物や時代背景、鬼界ヶ島から京の都までのスケールの大きさ。
そして人間の心理を深く掘り下げて描いた近松門左衛門。
まさに天才的な作家に間違いないと思います。
その近松門左衛門の気持ちや心に寄り添って、『俊寛』一場面で伝えようと様々工夫を重ねたのが前進座『俊寛』70年900ステージの歴史となっています。
皆さんもよろしければぜひ観劇にお越しいただければ幸いです。