昨日の続きです。
科学研究という点では似たなことをやっていました。
例えば、ロケット開発には旧文部省の下に宇宙科学研究所がありました。
鹿児島県の内之浦に基地がありました。
糸川英夫さんがペンシルロケットからずっと開発していった、日本固有の技術で飛ばしていたロケットたちです。
科学衛星を中心に飛ばしていました。
糸川さんは、戦争中は戦闘機「隼(はやぶさ)」の設計作業に参加しました。
さて、もうそろそろ皆さんの中でもあの「はやぶさ」の名前がどんな背景で生まれたのか気づかれたのではないでしょうか?
糸川さんは戦後1948年に東大教授になっています。
宇宙開発の重要性にいち早く着目し、1955年ペンシルロケットの発射に成功しています。
このペンシルロケットは、超小型の固形燃料ロケットで、1号機は長さ23センチ、直径1.8センチ、重量約200グラムでした。
その成果やその後の研究で彼は日本の宇宙開発の父と呼ばれました。
2003年、日本の小惑星探査機「はやぶさ」打ち上げから3ヶ月後、探査機の目的地である小惑星25143は彼にちなんで「イトカワ」と命名されています。
ここで、きちんと「イトカワ」と「はやぶさ」がつながってきますよね。
この命名にも、打ち上げや研究に携わったクルーたちの糸川さんへの尊敬の念が見て取れますね。
しかし、今のJAXAにも旧宇宙科学研究所系、つまり旧文部省系と旧科学技術庁系があります。
ロケット1つとっても全然自出が違うのです。
例えば「はやぶさ」は旧文部省系で、偵察衛星を打ち上げているのは旧科学技術庁なのです。
「はやぶさ」は、宇宙科学研究所ISASが開発した宇宙探査機です。
「はやぶさ」は2003年5月9日に打ち上げられ、0 5年には小惑星イトカワに到達し着陸します。
その後、様々な困難を乗り越えて10年6月13日に地球帰還に成功したことは、皆さんの記憶にもしっかりと残っていると思います。
確かに「はやぶさ」は実用性を基準として考えれば今すぐに役に立つとは言えません。
一方の偵察衛星は軍事衛星ですから役に立つといえば役に立つという違いがあります。
しかし「はやぶさ」を開発したチームの研究者や技術者は、これが100年後、200年後に大きな成果を生み出すと夢を追い続けているのです。
どちらの系列も、鹿児島県で打ち上げを行いますが、有名な種子島から打ち上げているのは旧科学技術庁系です。
内之浦は旧文部省系と今でも基地は別々です。
JAXAの中に、いまだに教授と呼ばれている人たちがいますが、その人たちは旧文部省系です。
旧文部省のすべてが良いとは言いませんが、当初の文部省の役人は、学問の自由を大事にし、研究者の自主的な発想が大事だという前提に立っていました。
私は今でもその考えを大切に受け継いでいてほしいと切に願っています。
これから皆さんも宇宙開発のニュースを聞いたとき、このような背景があるのだと頭の片隅に入れて頂くと、また違った見方ができるかもしれませんね。