hayatouriの日記

はやとうり の独り言

トルコの話  その2

昨日の続きです。

 

ホテルに着いたので、女性はタクシー代を払おうとしました。

 

するとどうでしょう。

 

「日出ル国のお方と知った以上、とてもお代はいただけません」と言い張って、どうしても運賃を受け取ってくれないのです。

 

安い宿でしたが、ホテルの歓迎ぶりも並大抵のものではありませんでした。

 

宿賃こそ取りましたが、明らかに1番良い部屋をあてがってくれています。

 

フロントもメイドも、職務上の愛想笑いの域を超えた好感に溢れた微笑みを浮かべてくれます。

 

そして、何かのタイミングのたびに「トーゴトーゴ」と言うのです。

 

一風呂浴びて散歩に出ると、露天の花屋が声をかけてきました。

 

「もしかしてお嬢さん日本の方?」

 

そうわかると、抱え切れないほどの花束を押し付けてきて、「ぜひ受け取ってくれ」そう言って追いかけてきたそうです。

 

理由は「トーゴの国の人だから」なのです。

 

トーゴ」とは?

 

皆さんは何だと思います?この「トーゴ」?

 

 


実はこの「トーゴ」とはなんと東郷平八郎の事だったのです。

 

ご存知の方も多いと思いますが、東郷平八郎日露戦争で旅順湾閉鎖作戦を指揮。

 

ロシア海軍極東艦隊に黄海海戦で、バルチック艦隊日本海海戦で壊滅的打撃を与えた軍人です。

 

「極東の小国、日本が大国、ロシアを破った」

 

というニュースが世界を駆け巡った時、欧米列強の植民地支配のもとで苦しんでいたアジア諸国の人々を勇気づけたのです。

 

日本は、その時アジア諸国の人々にとって、いやおそらく白人による侵略的略奪と支配と差別にあえいでいた世界中の有色人種の人々にとって希望の星に見えたのに違いありません。

 

その後、アジア各地では日本が侵略的帝国主義となって、各国に犠牲を強いてきたことにより、日本への見方はずいぶん厳しくなっていました。

 

ところが遠く離れたトルコまでは、日本軍の不名誉な噂も及んでいなかったのです。

 

幸か不幸か、日本に対する憧れと敬意を持ち続ける人々がことのほか多かったようです。

 

それ以前には皆さんもご存知の通り、和歌山県串本で起こったエルトゥールル号事件

 

エルトゥールル号遭難事件(エルトゥールルごうそうなんじけん)は、1890年(明治23年)9月16日夜半にオスマン帝国(現在のトルコの一部)の軍艦エルトゥールル号 (Ertuğrul Fırkateyni) が、現在の和歌山県東牟婁郡串本町沖にある紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し、500名以上の犠牲者を出した事件。

 

ウィキペディアより

 

があり、地元住民のエルトゥールル号の隊員たちへの救助活動を通じて、現在でも深い友好関係が築かれています。

 

実はその一例を私も体験しています。

 

つづく