hayatouriの日記

はやとうり の独り言

ファクターXを考える   その2

さて昨日の続きです。

 

神道における神は「穢れ」(けがれ)を極端に嫌います。


「穢れ」は汚れではありません。


穢れとは宗教的な概念で「諸悪根源であり、精神的な汚れ」なのです。


この「穢れ」を落とすために行われる宗教的儀式が「禊」(みそぎ)です。


きれいな水の中に入り体を清めます。


体を洗い、手や口をゆすげば穢れは取り除かれると考えられています。


神は不浄なものや穢れを嫌うので、きれいにするために祓う(はらう)ということをしなければなりません。


穢れを忌み嫌い、清めを求める日本人の価値観は昔からあるものです。


例えば帝(みかど)のおられる朝廷は、その穢れが1番あってはならない場所です。


例えば朝廷内で人が亡くなった場合です。


この場合はその人が亡くなっていても生きていることにします。


外に運び出し、朝廷の外に出たときに初めて死んだことを認識することにしたのです。


ある天皇が亡くなりそうになったとき、朝廷の外に建物を建て、こちらに隔離しました。


その後この天皇崩御するとご遺体は火葬され、それとともに遺体を運び出した際に通った建物や隔離した部屋も壊してしまうのです。


いわゆる「一休さん」のお父さんではないかと言われている後小松天皇は、足利四代将軍義持が亡くなった際にも死の穢れを恐れて次のような対策をとりました。


当時朝廷と幕府を行き来する貴族たちがいましたが、義持が亡くなった際には葬儀に出席し弔意を表したでしょう。


しかし後小松天皇は、足利義持の死に接した人間たちの朝廷出入りを禁止してしまったのです。


その当時面白いことに穢れのランクを甲乙丙丁で区分していました。


死者に直接したものは甲とされ、最高ランクの「甲の穢れ」です。


例えば「甲の穢れ」を今で言うところの一次感染と考えれば、「甲の穢れ」の人間と接触した「乙の穢れ」は二次感染者ということになります。


当時でもこのようにランクに応じて行動制限をかけていたのです。


もちろん当時はあくまでも、それは死の穢れに対する恐れと死の恐怖であり、ウィルスのような病原菌が媒介となると知っていたわけではありません。


ただ偶然にも穢れとそれに対する禁忌が、公衆衛生上の役割を果たした可能性も否定できないのです。


結論にたどり着くまでずいぶん長くかかってしまいました。


私たちの暮らしに中に根付く「穢れ」を払うという神道からの伝統が、手を洗い、うがいをし身体を清潔に保つという原点になっているのかもしれません。


コレが、つまりファクターXと言えるものかもしれません。