hayatouriの日記

はやとうり の独り言

安楽死について考える その9

昨日の続きです。

 

前回のブログの中で、安楽死を選択した人たちの疾病をついて統計が出ていました。

 

その中で「認知症」での安楽死がありましたね。

 

認知症安楽死?少し違和感を感じませんでしたか?

 

安楽死の要件のひとつに「絶望的で耐え難い苦しみがある」が挙げられます。

 

では、認知症の人にとっての耐え難い苦しみとは一体どういうものなのでしょう?

 

それは医師が定義するものではなく、患者本人が意思表示をするものらしいです。

 

条件は人によって異なりますが、その一例として「失禁し、無力になるなど、非人道的な状況に陥ることでしょう」ことに対して、耐え難い苦痛を本人が感じている場合などが対象になるようです。

 

私の疑問は、患者本人の意思表示がしっかりとできるかどうか、それを周りがどう判断するのかというものでした。


調べてみると2020年、オランダでは重度の認知症になり意思表示ができなくなった場合においても「患者がまだ判断能力を有していた時期に作成された書面による事前指示書があれば、安楽死を施しても医師は追訴されない」ことになりました。

 

これは、2016年に安楽死を実行した女性医師の裁判によって示された判断です。

 

事件について簡単にご紹介します。

 

患者はアルツハイマー認知症の74歳の女性。

 

介護施設に入居する前、「安楽死を希望する」旨の文書を残しており、そこには自ら心構えができたと宣言した場合のみ、と付記されていました。

 

医師は患者の入居前に「安楽死はこの文書に基づいて行うべきだ」と考え、他の医師2人もこれを確認しました。


医師は安楽死を実施した当日、鎮静薬を入れたコーヒーを飲ませました。

 

昏睡する患者に医師が安楽死の処置を行うための注射をしようとしていた矢先、患者の女性が覚醒してしまったのです。

 

安楽死が確実に遂行されるまでの間、親族は女性を押さえつけていたといいます。

 

裁判で検察側は、医師が患者と十分な相談をしないまま処置を行ったと主張。

 

しかし女性の家族は医師を擁護し、結果的にこの医師は無罪判決を受けるに至っています。

 

ここまでオランダでの様々な裁判の経過や、安楽死に対する社会の動向をご紹介してきました。

 

少し方向性が見えてきたのは、自分はどのように生きてどう最後を迎えるのかは、基本的に、その人が自分で決めたことが尊重されなければならないということだと思います。

 

私も、自分の両親や身近な人たちをずいぶん見送ってきましたが、今では日本の病院でも「最後の段階で延命治療を希望しますか?しませんか?」と高齢者はくどいほど聞かれると思います。

 

安楽死尊厳死の問題は、この質問のすぐそばにある問題ではないかと思います。

 

次回、最後に少しまとめ的なブログにしたいと思います。

 

つづく

 

 

 

 

安楽死について考える その8

昨日の続きです。

 

これまで、オランダにおける安楽死と向き合う歴史を見てきました。

 

実際日本でも「安楽死」を巡る、様々な問題が起きていますね。

 

2020年、安楽死を望んでいたALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性患者を2人の男性医師が死に至らしめるという事件が発覚し、医師らが逮捕された事件は記憶に新しいと思います。

 

報道によると、患者と医師はSNSで知り合い、さらに患者が医師の口座に150万円前後の金額を振り込んでいたといいます。

 

この事件は「安楽死」にあたるのか「殺人」または「自殺幇助」かが問われ波紋が広がっています。

 

今のところ日本で安楽死は法律的に認められていないが、潜在的な社会的関心は大きいといえます。

 

実際日本人が外国での安楽死を選択するケースもあるのです。

 

現在、安楽死を望む人やその家族に対する情報提供などを行ってきた大規模な市民団体、NVVE(オランダ自発的生命の終結協会)というものがあります。

 

まず、簡単にNVVEという組織について見てみましょう。

 

現在、NVVEの会員数は17万3000人で、そのほとんどが70歳以上です。

 

そのため、毎年約1万1,000人の会員が減少しているが、新しい会員も同時に増え、成長を続けています。

 

当然のことながら安楽死や自殺の話題がニュースになると問い合わせの連絡が増えるようです。

 

NVVEの運営資金は基本的に年額23.30ユーロ(2022年5月末現在、日本円で3,000円程度)の会費と遺産、寄附によって成り立っています。

 

オランダでは、2002年4月1日に、「要請による生命の終結および自殺幇助(審査手続き)法」が施行されました。

 

本法は国家の法としては世界初の安楽死法でした。

 

この安楽死法がスタートしたとき、安楽死幇助が激増するのではと危惧した人がいましたが、制度上医師は安楽死に対する協力を拒否することができます。

 

2021年に医師に安楽死を依頼した人は16,000人と推定されていますが、実施されたのは7,666回でした。

 

安楽死をする人の70%以上はがんで、しかも人生の最終段階にある人達です。

 

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オランダでは制度があるとはいっても安楽死は易々と行えるものではなく、厳格なプロセスを経なければ遂行することはできない制度設計になっています。

 

これまで調べてきたように、数多くの裁判が行われ、患者や医師、裁判所等の法律関係者、国民がずいぶん時間をとって議論を含めてきた結果といえます。

 

認知症を理由に安楽死を実施したのは215件
2021年のRTEの報告書によると、円、グラフのように安楽死をした人の疾患で最も多いのはがん、次いで神経系疾患、心臓・血管系疾患、肺疾患、老化、認知症精神疾患となっています。

 

つづく

安楽死について考える その7

 

昨日の続きです。

 

「シャボット裁判」の流れを見ています。

 

検察は最高裁判所に次の理由をつけて上告ました。

 

①A女史の苦痛は、肉体的な原因によるものではなかったので、死期は迫っていなかった。

 

②A女史は鬱状態であったので、自己決定能力に欠け、熟慮した上での自発的要請ではなかった。

 

③シャボット医師が意見を求めた専門医は、だれもA女史に会っていない。

 

1994年6月21日に、オランダ最高裁判所は、シャボット医師による自殺幇助事件について、検察側の上告理由の①と②については認めませんでした。

 

しかし③については、精神的苦痛が理由で自殺幇助を求められた場合には、担当医師以外に最低もう一人の医師が実際に面接診察しない限り「緊急避難」は適用できないとして有罪としながらも、刑罰は科さないという判決を下したのでした。

 

これは画期的な判断だといえます。

 

今回の「安楽死について考える」ブログの第3回目に登場するポストマ女医。

 

このような歴史的経過を踏まえて1971年の安楽死事件で起訴されたポストマ女医に対する1973年に行われた裁判(本誌一四八○号)で、レウワーデン地方裁判所は、このブログの中でも紹介した「安楽死容認四要件」を発表したのです。

 

再度ご紹介します。

 

①患者は不治の病にかかっている。

 

②耐えられない苦痛に苦しんでいる。

 

③自分の生命を終焉させて欲しいと要請している。

 

④患者を担当していた医師あるいはその医師と相談した他の医師が患者の生命を終焉させる。

 

その後、オランダで「アルクマール事件」が起こります。

 

この事件についても少しご紹介したいと思います。

 

この裁判の特徴は、オランダで患者の要請による安楽死が正当化された裁判だったということです。
 

安楽死を願い出たのは95歳の女性でした。

 

彼女はホームドクターに数回、医学的に生命を絶ってくれるかたずね、1980年4月書面で安楽死の意思表示をしていました。

 

1982年7月16日の数週間前からそのことを強く望みまた身体も衰弱していましたが、当日彼女と彼女の息子夫婦、そしてホームドクターとそのアシスタントで安楽死について話し合い、ホームドクターは彼女に薬物を注射して安楽死させました。

 

そのことでホームドクターによって捜査機関に報告され、裁判になったのです。

 

アルクマール地方裁判所では実質的違法性に欠けるとして被告人であるホームドクターを無罪としましたが、1983年アムステルダム控訴裁判所は1審判決を破棄し、刑を宣告しない有罪判決を下しました。

 

最高裁はこれについて緊急避難として正当化して本件を控訴審に差し戻し、1994年ハーグ控訴裁判所はこれを受け入れ被告人を無罪とするのです。

 

結果、1984年11月の最高裁判所の裁決により、ハーグ高等裁判所にまわされて判決されたのです。

 

この判決により、オランダにおける「本人の意思に基づいて真摯に要請された医師による安楽死の容認」が法的保障に向けて顕著な発展を見ることになったのでした。

 

つづく

 

 

安楽死について考える その6

昨日の続きです。

 

シャボット医師は、後に英国医学雑誌の記者に「最終的な結論は自分で出した。人の生き死にについて、倫理委員会が多数決で決められるとは思えないから」と語っています。

 

シャボット医師が、A女史に「ご希望通りに自殺幇助をしましよう」と彼の決意を告げると、A女史は涙を流して感謝しました。

 

A女史の家にシャボット医師と友人の医師がついた時、彼女の親友はすでに来ていたが、妹夫婦はいませんでした。

 

シャボット医師は、A女史に「私たちは、ここに来たけれども、今でもあなたが死ぬ決意を変えることを願っています」と彼女の今の気持ちを確かめました。

 

しかし彼女の気持ちは変わりませんでした。

 

好きなバラの花で飾られた家の彼女の寝室で、睡眠剤を含む致死薬を配合したカプセルと水薬をシャボット医師から受け取りました。

 

準備しておいた半液状のプディングなどと混ぜて服用して、ベッドに横になり、ベッドの脇に置いてあった息子たちの写真にキスをして目を閉じたのです。

 

7分後には、A女史は意識を失い、さらに15分後には彼女の顔色が変わり始め、服薬後38分、A女史は親友の腕の中で息を引き取ったのです。


この日の正午頃に自殺幇助を実施する予定であることを通知してあった検死官にシャボット医師が電話しました。

 

すぐに駆けつけた検死官は、A女史の身分証明書と照合して、A女史であることを確認します。

 

次いで、シャボット医師の報告書を読んだ上で、立ち会った三人に質問をしてから、検察庁に報告して、埋葬の許可を得たのです。

 

検死官が帰った後で、シャボット医師がA女史の妹に電話すると、すぐに妹夫婦が駆けつけました。

 

実は、妹は、姉の死ぬところを見るに忍びないのと子供たちに伯母が自殺することを話していなかったのです。

 

これにより俗に言われる「シャボット裁判」が始まりました。


1993年の4月の一審では、検察側がシャボット医師に対して一年の執行猶予付きの実刑を要求しましたが、アッセン地方裁判所はこれを無罪としました。


1993年の9月の二審では、検察側がシャポット医師に対して6ヶ月の執行猶予付きの実刑を要求したが、レウワーゲン高等裁判所は、不可抗力による「緊急避難」を適用して無罪としました。

 

これに対して、検察は最高裁判所に次の理由をつけて上告したのです。

 

①A女史の苦痛は、肉体的な原因によるものではなかったので、死期は迫っていなかった。

 

②A女史は鬱状態であったので、自己決定能力に欠け、熟慮した上での自発的要請ではなかった。

 

③シャボット医師が意見を求めた専門医は、だれもA女史に会っていない。

 

1994年に入って、最高裁判所の相談役である検事総長がシャボット医師は罰せられるべきではないという内容の勧告を最高裁判所に出したのです。

 

つづく

 

 

安楽死について考える その5

昨日の続きです。

 

A女史は、医師に息子の延命治療の意義について尋ねました。

 

医師たちは協議の結果、やりがいのない治療であると告げることになりました。

 

これを聞いてA女史は、生命維持装置を取り外すように医師に依頼したのです。

 

装置が取り外される日に、A女史は、長男、次男、そして自分のために墓地を買いました。

 

次男は、長男と同じ二〇歳で、兄の後を追うことになりました。

 

その晩、A女史は、それまでにためていた睡眠薬を服用して自殺を図ったのでした。

 

A女史の妹夫婦も親友もA女史の気持ちが分かっていたので、自殺を図ったA女史を発見した後も、すぐには医師を呼びませんでした。

 

しかし、A女史は、死ねなかったのです。

 

死に損なったA女史にとって、生き返ってしまったことは恐怖以外の何物でもありませんでした。

 

自分の尊厳を保ちながら、安らかに死ねるように幇助してくれる医師を真剣に探し始めたのです。

 

なぜなら、彼女の「かかりつけの医師」は取り合ってくれなかったし、長男の自殺後に世話になった精神科の医師は、宗教上の理由から拒否されるであろうと思ったからです。

 

六人の医師に自殺幇助を断られたA女史は、オランダ自発的安楽死協会に救いを求め、シャボット医師を紹介してもらうことができたのです。

 

シャボット医師は、なぜA女史が自殺幇助を求めるかについて自分自身で納得ができなければ、幇助してあげられないとA女史に伝えてから、調査を始めました。

 

シャボット医師は、A女史のみならず、A女史の妹夫婦や親友からも話を聞きました。

 

また、A女史の「かかりつけの医師」や以前彼女を診療した精神科医から、A女史のカルテなどすべての記録を受け取って調査しました。

 

これらの資料に基づいて、シャボット医師は、精神科医4名と精神療法士、さらにA女史の「かかりつけの医師」の計6名の専門家と相談し、意見を求めました。

 

このうち、2人の精神科医が自殺幇助に反対した以外には、自殺幇助してあげるしかない、という結論だったのです。

 

しかし、これらの専門家たちは、A女史を自分で診察はしませんでした。

 

このことが、後に裁判では重要なポイントとなったのです。

 

シャボット医師は・・・

「A女史が次男を失った一時的な喪失感による状態ではなく、生きる意義と意欲を完全に失ったA女史には、もはや死ぬことのみが残された人生の目的であり、もし医師が幇助しなければ、苦しみを伴い尊厳を傷つける自殺行為しかなく、それでは周囲の人たちにも必要以上の苦しみと悲しみを与えることになるであろう」

 

と結論を出したのです。

 

つづく

 

 

安楽死について考える その4

前回の続きです。

 

オランダはかかりつけ医制度をとっています。

 

かかりつけ医が、患者から安楽死を求められた場合に2つの心の動きがあると前回書きました。

 

患者の命をかけた訴えに何とか応えたいという心と医師としての道義的な立場を貫こうとする心の葛藤です。

 

とはいえ、オランダ国民として刑法293条を遵守しなければなりません。

※オランダも、刑法293条で「要請に基づく生命終結の禁止」、294条で「自殺幇助の禁止」を謳っています。

なのでオランダでは、安楽死が「要請に基づく医師による患者の生命の終結である」と定義されるなら、安楽死は法律上犯罪となります。

このように「医師としての二つの義務の相剋」に悩んだあげく、患者の願いを聞いて自発的安楽死をさせた医師の行為には、「オランダ刑法40条」が適用されて違法性阻却を認めることとされています。

 

※違法性阻却とは通常は違法とされる行為について、その違法性を否定する事由を意味します。日本では、民法上のものと刑法上のものがあります。


※オランダ刑法40条は、「緊急避難によってやむをえず犯罪を行った者は、処罰されない」と規定しています。また、不可抗力(overmacht)についての法的根拠も刑法40条に規定されています。すなわち、「不可抗力によってやむを得ず行為した者は可罰的ではない」という規定です。

しかし、違法性が阻却されたからといって、無罪になるとは限らない事件が発生しました。

 

たとえば、「シャボット医師の安楽死事件」がそうでした。

 

少し長い経過になりますが、この事件を追いかけてみたいと思います。

 

この女性(A女史)と、セールスマンをしていた夫との結婚生活は平穏ではありませんでした。

 

夫がアルコール中毒者であったために彼女にしばしば暴力をふるい、夫婦仲が悪かったが、ソーシャルワーカーとして働きながら二人の息子の母親としての生活に幸福を味わっていました。
 

長男が兵役に服し、ドイツに駐在している間にドイツ人と恋におちましたが、その女性に別の恋人ができ、失恋してしまったのです。

 

その結果、長男は、兵役を済ませず、自分の心臓を銃で打ち抜いて自殺してしまい、二〇歳の若さで母を残して先に死んでしまいました。

 

息子に自分の生きがいをかけていたA女史の受けたショックは並大抵ではなく、自殺を考えはじめました。

 

しかし、精神科医の助けを求め、次男のために生きる決意を固め、次男を連れて家出し、二人での生活を始めたのです。

 

その後、夫との離婚は成立したが、前夫からの嫌がらせは後を断ちませんでした。

 

兄の自殺のショックから立ち直れないで苦しんでいる母親を優しく慰めていた次男。

 

ところが、その次男が交通事故に遭い入院してしまいました。

 

けがのほうの心配はなかったけれども、不幸にして次男に癌が発見され、しかも手遅れの状態だったのです。

 

次男は、治りたい意欲を示したけれども、末期癌で化学療法も効かず、非常に苦しんでいました。

 

生命維持装置を付けられて延命治療を受けていましたが、延命だけの目的に疑問をもったA女史は、医師に延命治療の意義について尋ねることにしたのです。

 

 

つづく

 

 

 

 

安楽死について考える その3

昨日の続きです。

 

ポストマ医師への積極的な支援運動を始めた多くの開業医たちがいました。

 

彼らは「私も今までに少なくとも一回はポストマ医師と同様な罪を犯している」という公開状に署名して、法務大臣に提出します。

 

このような社会状態の中で、自発的安楽死は、ますます社会的関心事となって行くのです。

 

1973年に、レーウワーデン裁判所で、ポストマ医師に対して、オランダ刑法第293条違反として「一週間の懲役並びに一年間の執行猶予」の判決が下されました。

 

本裁判において、「レーウワーデン安楽死容認四要件」が認定されたのです。

 

①患者は、不治の病に罹っている。

②耐えられない苦痛に苦しんでいる。
③自分の生命を終焉させてほしいと要請している。
④患者を担当していた医師あるいはその医師と相談した他の医師が患者の生命を終焉させる。



「ポストマ医師を救う運動」に始まり、彼女の有罪判決直後には「オランダ自発的安楽死協会」が設立されます。

 

そして、「刑法293条を改正して、医師による自発的安楽死の実施を法的に容認する」という法律改正運動を開始しました。

 

一方同じころ、法律家のファン・ティル博士が中心となって、「自発的安楽死財団」を設立します。

 

この財団では、自発的安楽死を強く求める患者たちに「良い死の迎え方」の援助をしました。

 

一方、患者を無理に安楽死をさせることがないようにするために、理論的・学問的に良い方法を模索する学者たちの頭脳集団となるのが目的でした。

 

多くの図書などの出版活動も行い、次第に学問的な信用もついて、裁判所や政府機関などでも、これらの出版物を参考にするようになっていったのでした。

 

さらに、1973年には王立オランダ医師会は、次のような声明を出しました。

 

安楽死は、法的には犯罪であることには変わりはないが、もし医師が、ある患者の症例について、あらゆる面から検討した結果、不治の病にかかって死を目前にしている患者の生命を短縮した場合に、裁判所は、医師の行為を正当化しうる『医師としての義務の相剋』があったかどうかについても裁判するべきであろう

 

この前にも紹介したように、オランダの「かかりつけの医師」制度となっています。

 

つまり医師は、患者の病状のみならず、長年の精神状態の変化やそれらの原因や理由などについても精通し、よく理解しているはずです。

 

自分の「掛かりつけの医師」を信頼し、生命を預けて依存している患者自身が、人生最後に当たり、法を犯してまで楽にして欲しいと頼って来ています。

 

その患者のことを知り抜いている医師は、自分を頼りすがってくる患者の切なる願いを無視して、患者を裏切ることはできないと考えるのも当然でしょう。

 

つづく