hayatouriの日記

はやとうり の独り言

2024-04-01から1ヶ月間の記事一覧

モネと北斎と広重と その5

昨日の続きです。 次は広重について調べてみたいと思います。 ↑ 歌川広重(安藤広重)像です。 19世紀後半に海を渡った浮世絵は、世界中の人々から高い評価を受けることになります。 中でも、西洋の文化に大きな影響を及ぼし、今なお高い人気を誇っている浮…

モネと北斎と広重と その4

続きです。 下書きを書いてなぜかアップしたつもりになっていましたが、忘れてましたね さて、そろそろ北斎の絵版画の写真です。 これも、モネの時と同じように大勢のギャラリーがいまし たので、真正面から写真に撮る事はほぼできませんでした。 そして、こ…

モネと北斎と広重と その3

昨日の続きです。 北斎が新たなチャレンジを始めたのが70歳! 当時の平均寿命は60前でしょうから、大変な老人がチャレンジを始めたということになります。 北斎は90歳の長寿を全うし、生涯現役を貫きました。 多くの弟子を抱え、人気絵師の名をほしいままに…

モネと北斎と広重と その2

昨日の続きです。 かなり慌ただしくモネの展示会を見てきました。 これで午前中が過ぎてしまいました。 いつものように、中之島美術館の入り口すぐ前の蕎麦屋さんで昼食をとり、中之島香雪美術館に向かいます。 ちょうどこの辺は官庁街で、飲食店は日曜日が…

モネと北斎と広重と  その1

先日大阪に行って参りました。 Awesome City Clubがほぼ2年ぶりに「サンケイプリーゼ」でライブを行うということで出かけることにしたわけですが、実はその前にもう一つ大きな目的がありました。 1つは中之島香雪美術館で開催されているこれです。 そしても…

ゴリゴリ!

どうも〜皆さんこんにちは! ヌートバーです! ということで始まりました今回のブログ。 前回まで、ずいぶん重く長いブログでしたので今回は軽やかに行きたいと思います。 さてヌートバーと言えば、ワールドクラシックチャンピオンシリーズで「ペッパーミル…

日航123便の謎 その18

昨日の続きです。 これまでこのブログの中で取り上げてきたように、多くの疑問が残る日航123便墜落事故についてまとめてみたいと思います。 ①あの日、まだ日の明るいうち、墜落前の123便を追尾するファントムを目撃した人たちがいる事実。 ②123便のお腹付近…

日航123便の謎 その16

昨日の続きです。 複数目撃されている「赤い飛行機」について調べています。 目撃情報の重要な点を整理してみると 1・墜落前に大きい飛行機と小さいジェット機機が追いかけ状態であった。 2・真っ赤な飛行機が飛んでいた 3・墜落前後稲光のような閃光と大き…

日航123便の謎 その15

昨日の続きです。 何しろ123便が墜落したその夜、様々な不思議なことが御巣鷹山で起きていたのです。 そして、なんとその年のボーイング社の売り上げが爆発的に増加したのです。 これをどう説明すれば良いのでしょうか? 日本において「修理ミスを犯して」52…

日航123便の謎 その14

昨日の続きです。 そして事故翌日、早朝川沿いに歩き、生存者がいた沢から現場に入った消防団、警察関係者は既に山頂から降りてくる自衛隊員を目撃していたのです。 ただ、彼らは救出活動をしていませんでした。 想像を絶する前代未聞の背筋が凍りつくような…

日航123の謎 その13

昨日の続きです。 川上さんと落合さんの証言を取り上げてみました。 自衛隊のヘリコプターは、その日のうちにすぐに現場を確認しているのです。 この墜落事故の生存者を発見したのは救援に向かった自衛隊や機動隊ではありません。 事故翌日の午前11時40分ご…

日航123便の謎 その12

前回の続きです。 本当は、長い長い証言があるのですが、事故の当日のことに関して、川上慶子さんが話している内容を紹介します。 生存者の川上慶子さんは当時、このように語っています。 ・・・・・・・・ 暗闇の中、ヘリコプターの音が聞こえてきて、目が覚…

日航123便の謎 その11

昨日の続きです。 硫黄とベンゼン、これが入っている燃焼促進物質は何なのか? 青山透子さんはいろいろと調べあげ、ついに1つの結論に達します。 まず青山さんは、消防団の人たちによる証言をもとに現場で漂っていた匂いから推定されるものについて、元自衛…

日航123便の謎 その10

昨日の続きです。 遺体の「完全炭化」はなぜ起きたのでしょうか? ジェット燃料(ケロシン)は、ガソリンよりも、はるかに火力の弱いいわば灯油に近いようなものです。 考えてみてください。 湿った地面に遺体が落ちて、例えば灯油をかけて燃やした場合にカ…

日航123便の謎 その9

昨日の続きです。 123便に何が衝突したのか、青山説をご紹介しました。 もう一つは小田周二さんという遺族の方の説です。 この方も様々な状況を調べ上げて本を出版しています。 当時、相模湾上空で無人標的機を敵機に見立てて訓練を行っているのですが、それ…

日航123便の謎 その8

昨日の続きです。 日航123便を追いかける2機の戦闘機が目撃されていたのです。 しかも、地元の小中学生が複数この文集に目撃証言を書いているのです。 ですから、これまでもご紹介したように地元からの報告や米軍などからの連絡もあり様々なチャンネルを通じ…

日航123便の謎 その7

昨日の続きです。 話は最初に戻りますが、国やマスコミも「墜落した現場がわからない」という報道が続きました。 この謎については、またの後ほど詳しく取り上げたいと思います。 このタイプのジャンボジェット機はエンジンが4機ついています。 ところが、こ…

日航123便の謎 その6

前回の続きです。 ところが、123便は横田基地に向けて着陸寸前であるにもかかわらず、なぜか北に進路を取るのです。 この時、ボイスレコーダーのやり取りで、相手は誰だかわかりませんが、機長は「このままでお願いします」と誰かに懇願しているのです。 ボ…

日航123便の謎  その5

昨日の続きです。 米軍が123便の救助に向かったのに、なぜか急にそれをやめてしまいました。 帰還指示を出したのは米軍ですが、ではなぜ米軍はその指示を出したのでしょうか? おそらく何かしら日本政府からの連絡があったのでしょう。 ところが、米軍は123…

日航123便の謎 その4

昨日の続きです。 自己調査委員会の「圧力隔壁破断説」が間違いであることはこのように簡単に証明できます。 逆に「急減圧」が起きた事件をご紹介します。 123便の墜落事故が起こった翌年の1986年10月26日に起こったタイ航空手榴弾爆発事故についてご紹介し…

日航123便の謎  その3

昨日の続きです。 最初の墜落場所は長野県北相木村だと報道されました。 たまたま、ラジオの文化放送の報道記者が長野県に遊びに行っていました。 北相木村がそんなに遠いところではなかったので、本社からの指示でそこに向かうことになったのです。 彼は、…

日航123便の謎 その2

昨日の続きです。 圧力隔壁について説明でしたね。 ところがこの日航123便は、1978年6月2日に大阪伊丹空港に着陸する際に機体尾部を滑走路面に接触させた事故を起こしています。 尻餅事故を起こしたときに、圧力隔壁の下半分が破損しました。 それでボーイン…

日航123便の謎 その1

日航123便の事故の謎を追ってみたいと思います。 既に事故から39年が経過した今となっては、こういう出来事があったということさえ知らない人々が多くなってきています。 「そういえば、大変な事故があった」とご記憶の方も、その記憶は薄れているかもしれま…

消費税は勘違いされている! その5

前回の続きです。 続いて次のポイントです。 ⑧インボイスは益税解消のため必要? テレビでの討論などを聞いても、インボイスは益税解消のために必要だという論者も多くいるようです。 まず益税についてです。 益税解消だという立場の人たちは、100円が物価で…