hayatouriの日記

はやとうり の独り言

宮沢賢治といえば・・・ その1

前回のブログで宮沢賢治を取り上げましたのでもう一回書いてみたいと思います。

『永訣の朝』(えいけつのあさ)

最初にこの詩を読んだとき、私はとても衝撃を受けました。

 

兄弟姉妹のいない私は当時肉親がなくなるという経験がありませんでした。

 

しかしそんな私でも何かに取り憑かれたように読み続けた記憶があります。

 

今まさに妹の命の灯火が尽きようとしているその時です。

 

その中でもお互いを思いやる兄妹の心持ちが悲しく寂しく痛いほどわかります。

この「永訣の朝」という作品やタイトルから、賢治はこの詩を妹トシの今際の際に書いたと思っている人が多いと思います。

 

実はトシの臨終の際には賢治は押し入れに顔を入れ泣きじゃくっているだけでした。

 

この詩は賢治が妹の死をあとから振り返って書いたものなのです。

 

また妹トシが亡くなったのは彼女が24歳の時、賢治が26歳の時でした。

当初私は妹トシはもっと幼いものだと思っていました。

 

トシは宮沢賢治のよき理解者の一人でもありました。

 

日本女子大学校(当時は旧制専門学校の扱い)を卒業後、岩手県立花巻高等女学校(現・岩手県立花巻南高等学校)で教員を務めていたようです。

 

兄よりも優れているのではないかと言われるほど学力も高く、真面目で淑やかな女性であったと言われています。

 

少しこの詩を読むための手助けになるかと思い、キーワードを上げておきたいと思います。

 

あめゆじゅとてちてけんじゃ

 

まもなく消える妹の命。

 

外は、霙(みぞれ)が降っているので変に明るい。

 

妹が、熱で渇いた喉を潤そうとして、兄の賢治に「霙を取ってきて」と頼みます。

 

兄、賢治は「曲がった鉄砲玉のように」庭へ飛び出します。

 

長年、妹と使ってきた、おそろいの茶碗を持って。

 

ニ相系

 

「二相系」とは、液体と固体のような二つの異なった「相」が共存している状態のことです。

 

宮沢賢治は理科系の勉強もしていたためこのような表現が使われたと想像されます。

 


(Ora Orade Shitori egumo)

 

わたしは、わたしで、ひとりで 逝きます。

 

 

(うまれで くるたてこんどは こたに わりやの ごとばかりでくるしまなあよに うまれてくる)

 

今度は、こんなに私のことばかりで、お兄さんが苦しまないように 生まれてくるね。

 

 

兜率(とそつ)の 天の食(じき) 

 

天上のアイスクリームのこと。もともと宮沢賢治はこのような現代的な表現を使っていましたが、推敲の段階で古典的な表現に変えたようです。

 

前置きがずいぶん長くなりました。

詩自体も少し長くなりますので次回本文を掲載したいと思います。

 

つづく