昨日の続きです。
タクシー運転手さんのおかげで、夕食の場所も確保できました。
ガヤガヤと話しするうちに、いよいよ出雲大社に到着しました。
さて、ここで出雲大社について簡単なご紹介をしたいと思います。
これは出雲市のホームページから拝借した文章です。
少し長くなりますが、一度お目通しいただければ幸いです。
「 日本最古の歴史書『古事記』・『日本書紀』によれば、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)の国譲りに際して造られた壮大な宮殿が出雲大社の始まりと伝わります。
大国主大神は、「八千矛神(やちほこのかみ)」「大穴持神(おおなもちのかみ)」などの多くの別名があり、古来、朝廷や武家をはじめ多くの崇敬を集めてきました。
『出雲国風土記』には、大国主大神のために大勢の神々が集まって宮を寸付(きづ)いたと記されており、「杵築(きずき)大社」と呼ばれました。
出雲大社は、少なくとも8世紀には大きな社が建てられていたといわれます。
平安時代中頃に貴族の子供たちが教科書として用いた『口遊(くちずさみ)』には、「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」という当時の大型建造物を示す記述があり、出雲大社が最も大きく、次いで奈良の大仏殿、3番目に京都の大極殿の順であることを意味します。
社伝によれば、出雲大社本殿の高さは、最古は32丈(約96m)あり、その後16丈(約48m)になったといい、現在は約24mをはかります。
『口遊』に登場する平安時代の出雲大社は、16丈の壮大な建物であったといわれています。
現在の境内は、江戸時代前期、寛文7年(1667)の造営遷宮で計画されたもので、今もその時の建物が多く残っています。
現在の本殿など瑞垣内のお社は、その次の延享元年(1744)の造営遷宮で建て替えられたものです。
遷宮は、その後、
文化6年(1809)
明治14年(1881)
昭和28年(1953)に行われ、その都度本殿をはじめとする諸社殿の修理が行われてきました。
直近では、平成20年から平成31年にかけて「平成の大遷宮」の主事業として行われ、平成25年5月10日には本殿遷座祭が執り行われました。」
にわかには、信じられませんが、大昔に巨大社殿が建築されていた事は、どうやら事実のようです。
相当巨大な権力がこの地方に集中していたと考えられるでしょう。
これは余談ですが、 今でも天皇陛下は出雲大社に入れないと言われています。
では、なぜ天皇は出雲大社に入れないのでしょうか?
出雲大社の宮司には、日本神話からの言い伝えから天照大神(あまてらすおおみかみ)の子の天穂日命(あまのほひのみこと)を祖とする出雲国造家のみが祭祀を担うことが許されているとのことです。
なので、今でも天皇陛下でさえ、出雲大社の本殿内には入れないしきたりのようです。
また、大国主大神は「印旛の素兎」に登場する、善なる神様として物語にもなっています。
ご存知の方も多いのではないでしょうか?
もともとは「白兎」ではなくて「野うさぎ」の物語であったみたいです。
つづく