昨日の続きです。
また華族の生活も『かんしゃく玉』などの落語に残されています。
少し長くなりますがこのお話のあらすじを。
ある大金持ちのだんな(華族)は、有名な癇癪持ち。
暇さえあれば家中点検して回り、「あそこが悪い、ここが悪い」と小言ばかり言うので、奥方はじめ家の者は戦々恐々。
今日も、その時分にはまだ珍しい自家用車で御帰宅遊ばされました。
しかし早速書生や女中をつかまえて・・
「やれ庭に水が撒いていない」の
「天井にクモの巣が張っている」のと
微に入り細をうがって文句の言い通しです。
奥方には、「茶が出ていない、おまえは妻としての心掛けがなっていない」と、ガミガミ。
おかげで、待っていた客がおそれをなして、退散してしまいます。
それにまた癇癪を起こし、「主人が帰ったのに逃げるとは無礼な奴、首に縄付けて引き戻してこい」と言うに及んで、さすがに辛抱強い奥方も愛想をつかします。
「妻を妻とも思わない、こんな家にはいられません」と、とうとう実家へ帰ってしまいました。
実家の父親は、出戻ってきた娘のグチを聞いて、そこは堅い人柄。
「いったん嫁いだ上は、どんなことでも辛抱して、亭主に気に入られるようにするのが女の道である。
『けむくとも 末に寝やすき 蚊遣かな』と雑俳にもある通り、辛抱すれば、そのうちに情けが通ってきて、万事うまくいくのが夫婦。
短気を起こしてはいけない」
と、さとします。
「いっぺん、書生や女中を総動員して、亭主がどこをどうつついても文句が出せないぐらい、家の中をちゃんと整えてごらん」と助言し、娘を送り返すのでした。
奥方、父親に言われた通り、家中総出で大掃除。
そこへだんなが帰ってきて、例の通り・・・
「おい、いかんじゃないか。入り口に箒が立てかけて」
と見ると、きれいに片づいている。
「おい、帽子かけが曲がって・・・いないか」
「庭に水が・・・撒いてある。ウン、今日は大変によろしい。おいッ」
「まだなにかありますか」
「けしからん。これではオレが怒ることができんではないか」
お殿様をおおっぴらに笑いにできたのは明治になってからだったのかもしれません。
この華族の家令、執事が三太夫、本名にかかわらずメイドはおさん、と呼ばれたわけです。
大名の登場する落語で、大名のわがままに翻弄される重役(家老など)田中三太夫との名前もここから来ているわけです。
『一万石の恋』の原作落語は『妾馬』(めかうま)で、『八五郎出世』とも呼ばれています。
この妾馬の中でも殿様と八五郎の間に挟まって苦労するのがやはり三太夫なのです。
さて少し長くなってしまいましたが、落語をアレンジした『一万石の恋』
私も非常に楽しみにしています。