昨日の続きです。
そこで、実際に通し矢(大矢数)を行った三十三間堂にについて調べてみましょう。
このお堂の西縁は幅2.5m、高さ5.5m、長さ120mあり、南側から北側に射通すのです。
通常、弓道の競技では遠的で60m。
その倍以上あり、しかも矢は弧を描きながら、飛んでいくのですから、この長さを射通すのは、並大抵の技量では出来ないとお分かりになるでしょう。
具体的には、「大矢数」であれば、晩春から初夏の日の長い時期を選び、暮れ六つ(午後6時)から始めて翌日の同時刻まで。
一昼夜まで射続けるという壮絶な競技です。
現代ではこんな競技は無いのではないでしょうか。
(そうだ、ルマン24時間耐久レースがありましたね!ちなみにこの耐久レースも日中が1番長い夏至の頃に行われます)
残念ながら、惣一(天下一)になれなかった場合、切腹ということもあったようです。
慶長年間だけで25人が切腹をしているという記録があります。
昨日もブログにあげましたが、三十三間堂通し矢の絵から見ても、藩のメンツをかけた総力戦であったことが見て取れます。
負ければ藩のメンツを潰したという事で切腹だったのでしょうね。
しかし一昼夜弓を引き続けるのは、実に過酷なものです。
どのように行われていたのかの描写も残っています。
食事は竹筒に入れた流動食のようなものを食べさせます。
(通常の食事などをとっている時間がない事と、少しでも消化の良いものを効率よく食べさせるためでしょう)
ゆがけや弓・弦などの交換のために各職人が控えているのが描かれています。
※ゆがけ(弓懸、弽、韘[1])は日本の弓道・弓術において使用される弓を引くための道具。鹿革製の手袋状のもので、右手にはめ、弦から右手親指を保護するために使う。
ウィキペディアより
(例えば、現在のF1レースのピットインの場面を想像していただければ良いかと思います。
レースカーが飛び込んできた瞬間に、それぞれの持ち場のクルーが瞬時に行動を起こし、素早く終了します。
皆さんもよく目にされる光景だと思いますが、まさにそのような感じだったのでしょう)
他にも有名なプロゴルファーたちには、ツアーの最中スポンサーのスタッフが、専用車を使ってクラブの微調整を行いながら帯同する事は当たり前になっています。
話は戻りますが、場合によっては射手の腕や肩が腫れて挙がらなくなったり、腰痛が出たりします。
そんな時は治療家が瀉血や鍼をしたような記録もあるようです。
(ちなみに瀉血とは、腫れ上がった腕や腰に刃物で薄く切り込みを入れて、わざと出血をさせて動きを楽にするという療法です)
三十三間堂の通し矢はこのような過酷な条件の中で行われたのです。
つづく