昨日の続きです。
不便益を考えてみて物事って不便なだけじゃないっていうことがおわかりいただけてきたのじゃないかと思います。
もっと具体的に不便益について見てみましょう。
例えば「バリアフリー」について考えてみましょう。
皆さんは長崎県に坂が多い事はご存知でしょうか。
旅行にいかれた方は実感されると思いますが、長崎市全体がすり鉢状になっています。
ですから少し高いところに登るととても景観が良いのです。
お馴染みのグラバー亭からは長崎の街が一望できます。
その分物資の移動等は大変です。
以前テレビで放送していましたが、長崎県のこの坂は「宅配殺し」と呼ばれているそうです。
しかし逆に考えればこの地域の方々は歩かなければならないという不便益があると思います。
例えば老人施設や病院などで「バリアフリー」を取り入れる事は当然ですが、それが行き過ぎてしまうと身体能力の低下を招くという可能性もあります。
現在では「バリアアリー」という考えも生まれています。
これは意図的に階段や長い廊下などのバリアーを取り入れた介護施設などの事例です。
高齢者にとってバリアーは不便です。
しかしそれを失くすと足腰が衰えて歩けなくなるという便利による害「便利害」が発生します。
それを防ぐためにあえてバリアーを設えています。
(身体能力を回復させる)リハビリになるという益がありますし、高齢者の生活に(対する介護施設の過介護を開放して)主体性を持たせられるといいます。
また1人や少数の作業員が製品の組み立てから完成までを受け持つ「セル生産方式」も不便益の事例としてよく紹介します。
単一の製品を大量に製造するには(各作業員がベルトコンベアを流れてくる部品を待ち受けて同じ作業を繰り返す)皆さんもよくご存知の「ライン生産方式」が便利です。
一方、セル生産方式は、多品種少量生産に柔軟に対応するために導入された方式です。
作業員が受け持つ作業は、広範囲にわたり高いスキルが求められるため不便です。
しかし、個々の作業員は軽自動車を組み立てられるくらいのスキルを持ち、作業員がそれを認識することでモチベーションが上がり、さらなるスキルの向上にもつながりという益があります。
今はAIやロボットの活用による効率化や自動化が求められている時代かと思います。
その中で不便益を研究したり、発信したりする意義はどこにあるのでしょうか。
例えばエンジニアというモノを作る立場ですが、不便益はそうした立場の人にとっても必要な考え方だと思います。
これまで工学は人の手間を省いたり、人の代わりになったりするものを作ってきました。
しかし、それは本当に正しいのか考えるべき時代が来ています。
人が何もしなくなる世界は本当に楽しいでしょうか。
不便だからこそ、主体性や工夫の余地が生まれる大切さを理解すべきです。
不便には益があるという視点で物事を見ると、人とモノの本来あるべき関係が考えられます。
つづく