昨日の続きです。
今やまさにデジタル時代。
このデジタル時代に不便益について考えてみましょう。
例えばメールやLINEを止めてみたらどうでしょうか。
実際、私もパソコンやメールやLINEに頼っている日常です。
長くこのような生活をしていると、実際にきわどい「漢字」は読めても書けなくなってしまいました。
しかも漢字を思い出すためにパソコンやスマホで打ち出して拡大までしてチェックするという、本末転倒の情けないパターンも時々あります。
ここ数日の間に少しパソコンの修正をするため業者さんにお預けするのですが、この時間さえ何か心細い感じがします。
携帯電話を置き忘れてあたふたする人も多いんじゃないでしょうか。
昔みたいに「電話帳」など紙ベースで作っている人もほぼいないと思います。
たとえば、メールで連絡するのではなく、はがきや手紙を書いてみるのはとうでしょう。
一瞬だけで「あ」とタイプするのと、2秒という時間を使って「あ」と書くのとでは、当然感情の入り方が違います。
その分は時間がかかりますし、書き損じも多くなりますが。
(手紙の書き方については私の以前のブログ、2022年2月4日付『自筆の年賀状』を参考にしていただければ幸いです)
100通のメール受信よりも、短文でも直筆の手紙を1通もらったほうが感動できるってことは多いのではないでしょうか。
私も稀に年賀状など自筆のものをいただくことがありますが、やっぱりそこには「生きた人間」を強く感じます。
またスマホでググれば、多くの情報を入手することができます。
ただ、その結果、私たちは情報に押し流されていないか注意する必要があると思います。
必要以上に仕入れている情報量を減らすことで、日々の多忙感から脱することができるのかもしれません。
「感動」の反対語は「快適」だという人もいるようです。
なるほど快適な環境に「安住」していてはなかなか感動できないということなのでしょう。
では、さらに「快適」の反対語を考えるとそれは「不快」「不便」だと思います。
こんな関係性が成り立ちそうです。
つまり、「感動 ≒ 不便」なのかもしれません。
便利に向かうベクトルだけでなく、不便に向かうベクトルも活用していくと、人生はより豊かになっていくのではないかなんて考えてしまいます。
つづく