昨日の続きです。
不便益についていろいろ考えてきました。
つまり「不便」=「手がかかる」という事ですね。
不便益は人に何かを体験させる手段とも捉えられます。
商品やサービスにおいて「体験価値」が重要視される中で、不便益は新たな商品やサービスを考える手段としても使えます。
例えば私は昔ながらの「自動巻」の腕時計を持っています。
時計をつけて腕を動かすたびに自動でゼンマイが巻き上がるタイプのものです。
いわゆる電波時計や液晶時計と違って長く使うと時間が少し早くなったりします。
これもわざとそうなるように造られているようですが。
もちろん置いたままで動かさなければ止まってしまいます。
時間調整はあくまで目視でリューズを使って自分で合わせなければなりません。
30日と31日など日付調整も月が変われば人力でやる必要があります。
しかしそういう作業を通じて、その時計に愛着のようなものを感じてくるのも事実です。
不便益は、(ユーザー・エクスペリエンス)(User Experience) デザインと同じ方向を向いているともいわれます。
これまで商品やサービスは、何もしなくて済むようなデザインが追求されました。
一方、不便益はあえて体験させる方向でデザインする視点になります。
例えば、ボタン一つでご飯が炊ける炊飯器がある中で、ご飯炊き用の土鍋が売れていると聞きます。
あえて手間をかけさせてくれ、それをすればとても美味しく炊ける装置が注目されています。
ここにも1つ事例があります。
(京都市西部にある寺院の)西芳寺です。
京都の「苔寺」と聞けば思い浮かぶ方も多いのではないかと思います。
苔寺の参拝は事前予約が必要です。
予約サイトを運営しているのですが、それを利用できるのは1週間以内に参拝する人だけです。
あくまでメーンの予約受付は往復はがきで対応しています。
あきらかに不便です。
なぜそうした受付体制をとっているのでしょうか。
お寺によればサイトより往復はがきで予約した参拝者の方が「心の入り方が濃い」というのです。
手間をかけて申し込むからこそ、参拝に心を込められる不便益があるというわけです。
今でも時々視聴者や読者からの様々な応募や申し込み案内を見ていると、まれに「往復はがきでお願いします」と記載されているものがあります。
ひょっとすればこれらの企画に対する「心の入り方の濃さ」を試しているのかもしれません。
さて4回にわたり「不便益」を考えてみました。
私も「便利= 善 不便=悪」とばかり考えず、少しは発想の転換をしていきたいと思っています。