昨日の続きです。
厠の話が出ましたので、裏長屋の共用スペースについてもうちょっと詳しく書きたいと思います。
この厠は小さな小屋ですが、屋根はありますが、上部の壁はありません。
誰か使っているのかも遠目でわかるという優れものです。
(優れものと言って良いものか?笑)
井戸端会議の「井戸」ですが、多くの井戸は湧水ではなく、上水から石樋や木樋を使って引いた水を溜めているものです。
またゴミ捨て場もありました。
長屋から出されたゴミは壊れた瀬戸物などに限られていました。
江戸の街は、リサイクルが非常に発達していましたので、生ごみや紙類はほぼ完全に回収されていました。
長屋は二棟が向かい合わせに建てられて、表通りと裏通りに抜ける入り口には、木戸があります。
この木戸は門限になると閉められてしまいます。
また、木戸には表札が掲げられ、裏長屋の住人の名前と職業が書かれた表札もつけられていました。
さて、ここで長屋の運営について見てみましょう。
テレビドラマなどでよく出るのが大家さんですが、この人が一番偉いわけではありません。
運営の順序で言うとこうなります。
地主(土地の所有者)→大家(長屋の管理人)→店子(長屋の住人)
基本的に長屋は地主がいます。
大家は長屋の管理人のような立場で、店子たちの面倒を見ていました。
家賃の1割程度が大家の手当てになります。
ですから、落語によくあるように「店賃の催促」をしないと、自分の手当も減ってしまうのです。
長屋で出た糞尿は百姓がこれを買いました。
この代金は大家に支払われます。
最終的な家賃は地主のところに入ると言う仕組みです。
さすがに風呂は共有スペースにはありません。
街の銭湯へ出かけることになります。
当時の入浴料は、他の物価に比べると格安であったようです。
江戸中期までは、大人が6文で子供が4文だったといいます。
今の貨幣価値に換算すると、100円程度であったようですから、懐の貧しい裏店借でも何とか毎日通えたようです。
表店に比べて家賃が格安の裏店の長屋に住んでいたのは、基本その日暮らしの人たちだったのです。
もともと江戸に住んでいた人たちもいますが、地方の町や村から江戸に出てきた者が多かったのです。
特に飢饉や凶作のときには、江戸で食べていこうと言う農民が大量に流入してくることになりました。
つづく