昨日の続きです。
一方の戦争を<非>とする人はこう言います。
「何が何でも絶対戦争反対!日本がその一歩を踏み出しましょう。平和が一番です!」。
そうです。
僕もそう思います。だから僕はこちらの立場です。
しかし戦争を<是>とする人たちは言います。
「平和を語るだけでは理想論だ。
いざという有事の際はどうするんだ?だから国防軍を持つべきである。
戦争を仕掛けても勝てないという国家づくりと、何かされたら毅然と報復することが肝要なのだ。
これは愛する国と人を守るためなのだ。」と。
・・・現実のリスクを想像すると、戦争を<是>とする人のほうが現実の対処として「マシ」なのでは?という<自分に対しての疑念>が一瞬頭をよぎります。
確かに僕は、平和や非武装を語るだけで、理想論なのかも。
弱々しく思えてなりません。
戦争は絶対反対だけど、反対しているだけでは駄目なのでは?と、深く考えれば考えるほどに、自分の考えに自信が持てなくなってきます。
どうやら<守る>ということに目を向けた途端、『戦わなければ守れない』という考えが僕の心の中に浮かんできて、何が正しいのか分からなくなってしまうのです。
さて。
ここでひとつの問いが。
質問:
平和を心から望むだけの僕は、<無責任>なのでしょうか。
「戦争は絶対反対だけど、じゃあ他国が戦争仕掛けてきたらどうしたらいいの?」っていう、謎。
これ、よく考えれば考えるほど、謎。
そこで、勇気を出して教授に聞いてみたわけです。
「ねえ教授、平和だけを叫ぶだけだと理想主義で現実を見ていないような気持ちになる。
これって教授はどう考えてます?これって答えがあるんですか?」
そのとき教授と僕は、陸前高田のチャリティーライブを終えて、山間をバスで走っていました。
横を走る川を縫って山を登る道には雪が降り始めていました。
「ねえ、中国攻めてきたらどうします?っていうか、どうしたらいいと思います?」
教授は一回息をゆっくりと吸うと、しっかりとバスの椅子に座り直し、僕のほうに乗り出して言った。
「攻められないようにする。」と一言。
きっぱりと。
ん?分からない。どういうこと?
ねえ、教授、もっと詳しく。
「んー、あのね、、、攻める側には攻める理由があるから攻めるんです。
だから攻めて来れないように、攻められない理由をつくるんです。」
教授は説明を続けました。
「僕は・・・えっと、地政学的にね、中国が強大化していくなかで、日本はアジアの広い地域の中で、各国の中国との関係を慎重に見極めながら、中国との絶妙なバランスをとっていくことがものすごく重要なことだと思うわけ。
そのバランスが悪いほうに崩れたら、戦争は起きますよ。そりゃ。」
※地政学とは、国の特性や政策を地理的な要素から研究する学問のこと。
1916年にスウェーデンの政治学者、ルドルフ・チェーレンによって提唱された。
現代においても地政学は、国際政治やグローバル経済における国家の行動を説明するものとして重視されている。
つづく