昨日の続きです。
「ビオスの丘」のご紹介でした。
写真でご紹介した他にも、巨大な丸太シーソー、長い長いブランコ、小さなアスレチックコースなどもあります。
シーソー!
※シーソーの語源は、一本の大きなのこぎりを使って2人で大きな丸太を切っている様子を表した英語からです!
英語の歌で2人でのこぎりを使って大きな丸太を切る木挽きの仕事歌「Seesaw」っていう歌もあるようです。
seeは反復するとか繰り返すっていう意味で、sawはのこぎりっていう意味。
のこぎりで丸太を切っている様子がシーソーに乗っている2人の動きと似ている事からシーソーっていう遊具の名前が着いたようです。
デッカイブランコ!
ウィキペディアより
※雅語は「ふらここ」。「ぶらんこ」の語源については擬態語「ぶらり」「ぶらん」などから来たとする説や、ポルトガル語の balanço (バランソ、英語のバランス、swing スイングの意もある)、もしくはBlanco(ブランコ、白色)から来たとする説などがあります。
子供の昔ながらの遊び道具もあります!
子供向けの自然遊具が大変面白いです。
時間があれば一つ一つゆっくり楽しめると思います。
食事もちょっとしたものなら園内で食べる食堂(レストランというようなものではありません)ならあります。
とにかく5月6日だと言うのに、そんなにガヤガヤしてなくて落ち着いて楽しむことができました。
この後、私たち一行は、国内にあるのぼれる灯台16のうちの1つ、残波岬灯台(ざんぱみさき)(沖縄県中頭郡読谷村)に向かうことになりました。
沖縄本島のほぼ中央、東シナ海に大きく突き出した岬が残波岬で、高さ30mから40mにも及ぶ隆起サンゴ礁の絶壁が2kmに渡って続く景勝地となっています。
かって、地方の道路は、那覇や首里を除き馬車等が行き交うほどの幅員はなく地方への往来はほとんど海路が利用されていました。
レーダー等が無かった昔の航海は、星と地上物件を目当てとしており、この岬は大きな目標とされていたと思われます。
「おもろさうし」(沖縄最古の古謡集)によれば、「この岬をかわすおざ時には、手を擦って祈り船を走らせなさい」と記されており、宇座誌(地元郷土史)「残波の里」には、航海の安全を祈る神の屋として「東の神の屋、西の神の屋、潮吹ガマ」があると書かれています。
古来より、本土から、そして山原から那覇へ向かう船には、神に祈る心境にさせるほどの航海の難所となっていたようです。
また、この地は昭和20年4月1日、米軍はこの岬を目印に激しい砲撃を加え上陸を開始、あの悲惨な沖縄戦が始まった地でもあります。
残波岬灯台は、当地が未だ米軍の実弾演習場として使われ、立ち入り禁止区域になっていた昭和48年に地元の海運関係者からの強い要望たより建設を開始しました。
連絡が米軍のゲートに届いていなかった為に門前払いをくったり、突然の演習で工事をストップさせられたりと、他では味わえない苦労を重ねながら翌年の年度末ギリギリ3月30日に何とか完成させることが出来たとのことです。
現在同地区は、南西諸島随一の高さ(約31m)を誇るこの灯台を中心とした公園として生まれ変わっており、沖縄本島の観光の目玉ともなっています。
このような歴史がある岬です。
姿形も美しい灯台です!
これからここを登ってみたいと思います!
階段は99段ありますが、これでなかなか大変なのです!
筒の中みたいなところですから、何か途中から酸素が減っていくような感じがします💦
ヒーヒーながら何とか乗り切りました!
いや、かなりきついです😰
こんな断崖絶壁が左右に続いています。
来た方を振り返ればこんな感じです。
でも、確かに素敵な景色を一望できて、必見の価値はあります!
さて、これから戻ってお待ちかねの夕食です!
つづく