難しいブログが続きましたので、話題をぐっと変えたいと思います。
私は落語を聴くのも見るのも好きなのですが、中には「う〜ん」と考えさせられるオチや「それはありえへんやろう」というのを無理矢理放り込んでくるオチもありますね。
今回は、落語の「千両みかん」について考えてみたいと思います。
まず最初にこの落語のあらすじをご紹介したいと思います。
8月のある日、呉服屋の若旦那が急に明日をも知れぬ重病になってしまいます。
医者によれば心の病であり、心に思っていることがかなえば全快するということです。
大旦那は「きっとこれは恋わずらいに違いない」と判断します。
日頃、何かと若旦那の世話を焼いている番頭を呼び出し、どんな恋わずらいか聞いてほしいと頼み込みます。
番頭が若旦那に尋ねると、か細い声で「どうせ願っても叶わないこと」「あたしゃこのまま死んでしまうんだ」というような話をします。
その願いを叶えるために、「たとえ火の中、水の中」若旦那のために一肌脱ぎましょうと番頭。
若旦那が重い口を開きます。
「みかんが食べたい!」
「昔食べた、紀州のみかんが食べたい」
恋わずらいじゃありませんでした。
「な〜んだ、そんなことならお安い御用だ!」
何も知らない番頭は胸を叩いて引き受けます。
しかし、江戸時代なので夏にはみかんなどはありません。
今更、みかんが手に入らないなどということになれば本当に若旦那が死んでしまいます。
「何としてでもみかんを手に入れてこい」「でないとお前は人殺しだ!」と番頭は大旦那にきつく叱られます。
足を棒にして、あちこち歩き回ってようやくたどり着いたのが天満のみかん問屋。
そこで、氷室の中から無傷のみかんが一つだけ見つかるのです。
ところがみかん問屋が言う値段は千両。
番頭は大旦那に相談すると、金に糸目はつけないから千両でみかんを買え!ということになりました。
大騒動の末、一つ千両のみかんが手に入りました。
若旦那は喜んで、このみかんをほおばり、みるみる元気を取り戻します。
若旦那は十房のうち七房を食べたところで、残りを両親に二房、番頭に一房食べてもらうように番頭に差し出したのです。
若旦那の部屋を出たところで、番頭は何度も考えます。
そこで出した結論は・・・
「三房で三百両の価値があるみかん」をもって、逃げること(逐電ちくでん)に決めたのでした。
いかがですか?
シュールでナンセンスで人間臭いですね。
「千両みかん」の笑いのポイントは、私的価値(若旦那にとってのみかん)と共通価値(お金)を混同してしまうところにあります。
この話を題材にして、少し経済学の話を考えてみたいと思います。
つづく