昨日の続きです。
まず価格と価値について考えてみましょう。
価格と価値は同じだと思っている人が結構多いと思います。
確かに、自分が持っているモノを転売しようとしたらいくらの価値があるかといえば、その価値に相当するのが価格ということになります。
しかし、自分が保有しようとしていたとすれば、そのモノの価値(私的価値)と価格は異なります。
市場で自発的な取引がされている場合は、価格と私的価値は異なることがほとんどです。
昔、「100円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで100円は買えません」という藤谷美和子のテレビCMがありました。
1977年のことなので、これを知っている人は、それなりに歳を取っている方でしょう。
100円でポテトチップスが買えても、ポテトチップスは必ずしも100円で売れないというのは、人によってポテトチップスに与える価値が違うから当然ですね。
モノの価値は人によって違うのです。
同じペットボトル1本の水でも、喉が渇いている人とそうでない人では、その価値が全く違います。
ところが、水の価格は人によって異なることはありません。
一般に、価格というのは、需要と供給で決まってしまいます。
その時成立する価格というのは、売った人の中でもっとも売りたくない人がぎりぎり売ってもいいと思っている価格になります。
それは買った人の中でもっとも買いたくないと思っていた人が買ってもいいと思っていた価格になります。
ぎりぎり買うことに決めた人以外は、買い手が最大限出してもいいと思っていた価値では買っていないのです。
だからこそ、売買という交換によって人びとは得をするのです。
あるモノやサービスについて、その私的価値と市場価格を比べて、私的価値の方が価格よりも低い人が売り手になり、私的価値の方が価格よりも高い人が買い手になります。
これが交換の利益が発生する理由です。
したがって、モノを保有している人は、市場価格よりもそのモノに対する私的価値が大きいからこそ保有しているのです。
特殊な場合には、私的価値に近い価格で取引が行われることがあります。
例えば、落語の千両みかんの場合は、買い手が一人でどうしてもほしい、という状態なので、売り手は買い手が買ってもいいぎりぎりの値段で売ることができるのです。
言ってみれば、ネットオークションで一番高い値段をつけた人に売るような感じです。
つづく