昨日の続きです。
皆さんは、財務省が金科玉条のごとく掲げている1つの方針をご存知でしょうか。
それは「1円でも多く増税し、1円でも歳出をカットする」という「財政緊縮路線」です。
財務省は1990年代以降、一貫して財政緊縮路線を取り続けています。
その結果、何が起こっているでしょう?
1995年には世界の18%を占めていた日本のGDPが、今や6%を切っております。
先進主要国の中で最高に近かった日本の賃金は、今や主要国中最下位になっています。
一人当たりGDPで見ると、日本はすでに香港よりも2割も低くなり、韓国にも抜かれました。
中長期的に見れば、中国にも抜かれるだろうと言われてます。
森永卓郎氏に言わせれば「財務省の掲げる緊縮財政の恐ろしさを政治家が誰1人理解していないから、こんなことが起こる」ということらしいです。
残念ながら、日本は世界最初の「衰退途上国」となってしまうそうです。
安倍総理の後を引き継いだ菅総理の時代は、まだ安倍元総理が圧力をかけていたようです。
菅総理が辞任して、岸田文雄総理が就任したことと、安倍元総理が凶弾に倒れたことによって財務省の権力がいっそう強化されることになりました。
その後何が起こったのか見てみたいと思います。
国民負担率の推移を見てみましょう。
国民負担率というのは、税金と社会保障負担が国民所得全体に占める割合のことです。
「税金と年金負担や保険料負担が厳しいなぁ」と国民の誰もが思っていることではないでしょうか。
私などは自営業のため、毎年の確定申告のたびにため息が出るような感じです。
つまり、国民負担率とは、国全体として所得の何%が、税金や社会保険料等で持っていってしまわれるのかという数字です。
2010年度の国民負担率は37.2%でした。
それがどんどん上がっていき、2022年度には47.5%とほぼ5割増しとなっています。
「働いても、半分が税金と社会保険料で持っていかれている」という恐ろしい現実になっています。
例えば、江戸時代は、享保年間(1716〜1736年)までは、四公六民といって、収穫した米の4割をお上に納めていました。
つまり、農民が手元に残せる米は収穫量の6割でした。
ところが農民の取り分の中には、種籾に回したり、農機具を購入するための分が含まれていて、6割でも農民が米を10分に食べられる水準ではありませんでした。
ところが享保年間以降に幕府の財政が悪化すると、五公五民に改められてしまったのです。
さすがにこれは農民に死ねと言わんばかりの仕打ちとなりました。
全国各地で年貢の減免を要求して立ち上がる「一揆」が多発しました。
当時は、農民に引っ越しの権利がなかったにもかかわらず、義明家の家を放棄して逃げ出す「逃散」も多発しました。
この辺の事情は以前のブログ「江戸の長屋」の中でも紹介しておりますので、機会があればまた一度ご覧ください。
つづく