もう専門学校を卒業してずいぶんになりますが、医療系の専門学校には結構人体の骨格標本や模型があると思います。
もちろん最近のものは全部樹脂で作っているものです。
が、1980年代ぐらいまでは外国の業者から実際の人骨モデルを買うことができました。
何やらインドあたりが輸出国であったようです。
ですから最近、
小学校や中学校の模型?が本物であったことがわかり大騒ぎになったことがありましたね。
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何か事件と絡んでいるんじゃないかなどと心配になったみたいです。
私の卒業した鍼灸専門学校にもいくつかの教室で全身骨格模型が隅のほうにぶら下がっておりました。
それ以外にもきちんと木製の四角い箱に各パーツごとに収められているきれいな骨の標本もありました。
そこそこ歴史のある学校なので、多分本物だったのではないかと思います。
人間の体の構造を知りたい!
(^O^)/
というのは洋の東西を問わず医術に携わる者の必然の欲求であったのでしょう。
皆さんは地球儀をご存知でしょう。
昔人間の骨格模型のことを軀幹儀と呼びました。
そして意外にも世界で最初に精密な等身大の男性骨格模型を作ったのは
なんと日本人でした!🤗
それは寛政4年(1792年)、広島の町医者星野良悦(ほしのりょうえつ)によって作られたものです。
この方の家は代々お医者さんです。
江戸時代は医者といえども、勉強のために人骨を保有することは厳禁でした。
杉田玄白が翻訳発表した『解体新書』は1774年発行なのでおそらくこの本に影響受けた事は間違いありません。
寛政3年(1791年)4月8日、藩の許しを得て刑死者の遺体を2体もらい受け、これを解剖し研究しました。
その際、1体は骨格のみを取り出し、工人の原田孝次を指導して、組立式の骨格模型を作りました。
これに立ち会う職人もまぁ勇気がいったことでしょう。😵😵
ところがこれが現代医学的に見ても非常に優れたものだったのです。
寛政10年(1798年)の秋、良悦はこの木骨を携えて江戸へ。
『解体新書』の訳者の杉田玄白や大槻玄沢(おおつきげんたく)、桂川甫周(かつらがわほしゅう)らに評価を求めました。
その正確さ、精巧さは彼らを驚嘆させ、激賞を受けたと言います。
彼らの勧めもあって、良悦は更に1体の木骨を作り、寛政12年(1800年)、幕府に献納しました。
幕府はこれを『身幹儀(しんかんぎ)』と名付けて医学館に納め、良悦の功績を賞して金30両を授けています。
これらはツゲの木で細工されていますが、医学教育のため使われたようです。
ただし、現在の全身骨格標本・模型のように一体型ではなく、分離されていたようです。
またこの木製骨格模型にはただ一つ、舌骨がありません。
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解剖学上、前頸部にある舌骨はどこの骨ともつながっていません。
かつ遺体が斬首されていますので見つけだせなかったのでしょう。
その詳細についてはこちらをご覧ください。
その精密さにきっと驚かれることでしょう。
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いや、頭蓋骨の正確さや神経の通る穴の位置など今更ながらに驚くべき水準です。
人間のわからないことを知りたい!
という欲求はとどまるところを知りません。
それは現在でも同じですが、現在に至っては医学は人間の生死や遺伝子操作にまで関わります。
例えて言えば神の領域と言われるところまで踏み込む可能性を秘めています。
私たちは、その光の部分と影の部分もじゅうぶ心しておくべきなのでしょう。