昨日の続きです。
これまでこのブログの中で取り上げてきたように、多くの疑問が残る日航123便墜落事故についてまとめてみたいと思います。
①あの日、まだ日の明るいうち、墜落前の123便を追尾するファントムを目撃した人たちがいる事実。
②123便のお腹付近に濃い赤色の大円や円筒形をした物体が吸着しているように見えた事実。
③墜落、現場付近の人に目撃された真っ赤な飛行機の存在。
④検死した医師達が見た凄惨な遺体状況や炭化した遺体への疑問。
⑤さらにいまだに引き上げようとしない海底に沈んだままの機体の残骸。
⑥ボイスレコーダーもフライトレコーダーも全面開示されていない。
※日本航空の社内でも日航123便以外の事故の生のボイスレコーダーは社員に公開されています。
しかし、この件に関しては、何度乗員側が申し出ても「遺族への配慮」と言う理由で公開されませんでした。
⑤が突然に出てきたと思われる方も多いと思いますので、説明をさせていただきます。
実はANNが情報公開請求で得た資料などから、残骸が沈んでいるとされる相模湾の海底を調査し、123便の部品の可能性がある物体を発見したのです。
これはテレビのニュースでも放映されました。
2015年7月29日、静岡県東伊豆町の沖合約2.5km、123便の推定飛行ルートの真下にあたる水深160mの海底で垂直尾翼と思われる物体が確認されました。
パネル状の部分は四角形に見え、側面にある黒い部分には数字などが書かれています。
調査にあたった専門家は、1.5mから2mほどの大きさではないかとしています。
当時、事故調査委員会のメンバーとして墜落の原因を調べた斉藤孝一さんは「この映像だけでは分からない」としたうえで、123便の残骸である可能性を指摘しました。
当時の事故調査官・斉藤孝一さん:「仮に航空機の部品だとすると、『APU』のまわりに取り付いている『コントロールボックス』といわれてるようなもの」
※APUは機体後部にある補助エンジンで、客室に空気を送ったり電気を付けたりする役割があります。
斉藤さんは圧力隔壁の破壊という事故原因は変わらないとしたうえで(???)、残骸が見つかれば事故の状況がより詳細に分かる可能性があるとしています。
123便を巡っては、相模湾上空でのトラブルの際に機体から落ちた垂直尾翼の大半やAPUを含む機体後部の部品が見つからないまま、事故から1年10カ月後に調査が終了しています。
国の運輸安全委員会はこの映像を見たうえで、「当委員会としてのコメントは差し控えさせて頂きます」としました。
国も国土交通省も、この後もこの物体の引き上げをせずに放置しています。
色々と理由をつけていますが、この深さであれば簡単に引き上げが可能です。
ダイバーによる商業的な水中作業の深度的限界は300m以内であり充分対応できる深さです。
引き上げてしまえば、訓練用のミサイルが尾翼を直撃したのであれば、尾翼の残骸にオレンジ色の塗料が付着している可能性もあるのです。
何かを隠しているとしか考えられません。
これらのポイントを繋げ合わせると見てくるものがあります。
最近になって、ようやく当時の記憶を語る住民の方々も多くなってきました。
この不可解な日航123便墜落事故からもう39年も経っています。
しかし、未だに「真実を知りたい」と果敢に裁判に挑む遺族の方々もいらっしゃいます。
この事故の真実を明らかにする事はわが国のあり方にとっても非常に大切なことだと思います。
今回のブログもずいぶん長くなりましたが、もっと深く内容について知りたい方は、ぜひ青山透子さんの著書を手に取っていただけたらと思います。
今回も最後までありがとうございました。