昨日のつづきです。
行政を考えてみましょう。
行政が公的なものでなくなってしまうとどうなるのでしょうか?
企業は儲けのない所には投資をしません。
例えば水道網の維持管理等を考えた場合、これを金儲けにするためにサービスの低下や水道料金が高騰する可能性があります。
国民健康保険など現在でも保険料は高いと言われていますが、それでも公的な援助はきちんと行われています。
これも料金が高騰する可能性があります。
医療その他のインフラ(電気・ガス・水道など)項目についてもその通りです。
最初にお示ししたように、この第3層がないと私たちは生きていくことができないのです。
ですから「規制」という網をかけて第3層を守ってきた経過があるのです。
逆に言えば第3層は「絶対的に国民的需要がある」ということになります。
なぜなら国民にとって絶対利用しなければならない分野だからです。
この特徴をいち早くとらえてこれをビジネスにしようとした動きが過去ありました。
まさに需要があるところに儲けが存在するからです。
「構造改革」の肝はまさにこの第3層のビジネス化にありました。
小泉政権の時から「構造改革」との名のもとに行われ、第二次安倍内閣では「岩盤規制にドリルで穴を開ける」とまで言い出しました。
簡単に言えば、地方への各種補助金を減らしてしまったのです。
例えば地方自治体にお金がなくなると職員を増やすことができません。
そこで派遣会社から社員の派遣が考えられるようになります。
すると「ふるさと納税」なるものが考え出され、足りない分は自分たちで調達させられるようになりました。
「ふるさと納税」の仕組みは、限られたパイを自治体同士で競いあって取り合うという、ある意味非情な制度だともいえるのです。
以前このブログでも紹介しましたが、予算カットなどで全国の保健所数は最高時から約半分近くまで減少させられました。
国の側から見れば「平時」における保健所は余っているように見えたのかもしれません。
しかしこれだけ保健所を削減させた結果は、今のコロナ感染拡大状況や、またその最前線で闘う保健所職員の過労死寸前の労働環境がよく物語っているのではないでしょうか。
私はもはや「規制緩和」の流れを変えて、第3層の分野での国の公的な手厚い支援と制度の拡充が不可欠だと思います。
それであってこそわが国の将来が安全で明るいものになると思われてなりません。