hayatouriの日記

はやとうり の独り言

『教室はまちがうところだ』


前回のブログが「教育」の内容で終りましたので少しつなげていきたいと思います。

皆さんはご自身の小学校・中学校の頃の思い出はいかがですか?

 

学校楽しかったですか?

 

勉強は楽しかったですか?

 

学校は苦痛じゃなかったですか? 

 

私は正直あまり楽しい思い出はありません。

 

いじめとかされていたこともありますし。

 

勉強することが楽しくなくなるって、とても寂しいことですね。

 

昭和20年から60年まで、静岡市で公立小学校・中学校に勤務していた蒔田晋治という先生がいました。
 
ある人の記憶によると、この先生は中学校の国語の最初の授業でいきなり縦は畳一畳分、横は5メートルはあろうかという模造紙でつくった巻物をぐるぐると黒板いっぱいに広げると、そこに書かれた自作の「詩」をはつらつとした声で読み上げたようです。

 

大変有名な「詩」ですから聞いたり読んだりした方も多いと思います。


 私もこの詩の最初のほうは知っていましたが、ふと思いおこして全文を探してみました。
 
この先生の教育への「執念」さえ感じる素晴らしい言葉です。
 


『教室はまちがうところだ』


  まきたしんじ


教室はまちがうところだ、
 
みんなどしどし手を上げて
 
まちがった意見を いおうじゃない
 
まちがった答えを いおうじゃないか

 


まちがうことをおそれちゃいけない
 
まちがったものをワラッちゃいけない
 
まちがった意見を 
 
まちがった答えを
 
あじゃないか 
 
こうじゃないかと
 
みんなで出し合い 言い合うなかで
 
だんだんほんとのものを 
 
見つけていくのだ
 
そうしてみんなで伸びていくのだ

 


いつも正しくまちがいのない
 
答えをしなくちゃならんと思って
 
そういうとこだと思っているから
 
まちがうことがこわくてこわくて
 
手も上げられないで小さくなって
 
黙りこくって時間がすぎる

 


しかたがないから先生だけが
 
勝手にしゃべって生徒はうわのそら
 
それじゃあちっとも伸びてはいけない

 


神様でさえまちがう世の中
 
ましてこれから人間になろうと
 
しているぼくらがまちがったって
 
なにがおかしいあたりまえじゃないか

 


うつむきうつむきそうっと上げた手 
 
はじめて上げた手先生がさした
 
どきりと胸が大きく鳴って
 
どっきどっきと体が燃えて
 
立ったとたんに忘れてしまった
 
なんだかぼそぼそしゃべったけれども
 
なにを言ったかちんぷんかんぷん
 
私はことりと座ってしまった
 


体がすうっと涼しくなって
 
ああ言やあよかった こう言やあよかった
 
あとでいいこと浮かんでくるのに

 


それでいいのだ いくどもいくども
 
おんなじことをくりかえすうちに
 
それからだんだんどきりがやんで
 
言いたいことが言えてくるのだ

 


はじめからうまいこと 言えるはずないんだ
 
はじめから答えがあたるはずないんだ

 


なんどもなんども言ってるうちに
 
まちがううちに
 
言いたいことの半分くらいは
 
どうやらこうやら言えてくるのだ
 
そうしてたまには答えも当たる

 


まちがいだらけの僕らの教室
 
おそれちゃいけない ワラッちゃいけない
 
安心して手を上げ
 
安心してまちがえや

 


まちがったってワラッたり
 
ばかにしたりおこったり
 
そんなものはおりゃあせん

 


まちがったって誰かがよ
 
なおしてくれるし教えてくれる
 
困ったときには先生が
 
ない知恵しぼって教えるで
 
そんな教室つくろうやあ

 


おまえへんだと言われたって
 
あんたちがうと言われたって
 
そう思うだからしょうがない

 


だれかがかりにもワラッたら
 
まちがうことがなぜわるい
 
まちがってることわかればよ
 
人が言おうが言うまいが
 
おらあ自分であらためる
 
わからなけりゃあそのかわり
 
だれが言おうがこづこうが
 
おらあ根性まげねえだ

 


そんな教室つくろうやあ