昨日の続きです。
鬼の世界の島、じゃあいったい今のどこかと考えますと・・・
九州方面なのは確かですが説が3つに分かれています。
長崎の西南にある伊王島
鹿児島の南にある硫黄島
さらに南奄美大島の隣の喜界島
それぞれの島にまつわる伝説がありまして、俊寛のお墓やら銅像が立っています。
歴史上の有名な方々の出身地がいろいろあるなんて話は他にもよくありますね。
皆さんご存知の近松門左衛門が平家女護島の作者です。
「硫黄ヶ島、見るより硫黄が燃えいずるを」と書いていますから火山の島だと想像できます。
小笠原諸島の島と区別するため「薩摩硫黄島」とも呼ばれているようです。
硫黄を吹き出す活火山の島です。
現在でも鹿児島からフェリーに乗って4時間、小型飛行機でも1時間かかります。
古い時代は風まかせの航海です。
なので恩赦の船は全力で急いだとしても、都から2ヶ月かかりました。
ではこの時の恩赦とは何だったのでしょう?
この時は平清盛の娘が懐妊しました。
後の安徳天皇を身ごもったわけです。
その安産を祈って、罪人の罪を軽くしたわけです。
当時は現在と違って、人の恨みや祟りが天変地異や災いをもたらすと非常に怖がられていました。
少しでも後の災いを避けるために恩赦が行われたのです。
意外に思われるかもしれませんが恩赦は今でもあって、現在の天皇即位のときには55万人規模の恩赦が行われました。
鬼界ヶ島にやってきた恩赦の使いは、大赦と言って、しっかりと罪が許されて都に帰れるのです。
ところが流人3人のうちただ1人許されずに、島に置き去りにされるのが平家物語に描かれた俊寛なのです。
「一緒に連れて行け!」と地団駄を踏んだ「足摺(あしずり)の段」が有名です。
能や謡曲の『俊寛 鬼界ヶ島』も同じく島に残される俊寛の姿で終わります。
一方、歌舞伎の『俊寛』の幕切れは、意図的に「島に残る」俊寛を描きます。
近松門左衛門は「島に残される俊寛」を「自ら島に残る俊寛」に生まれ変わらせたのです。
歌舞伎の場合、もう1通の赦免状があって俊寛も船に乗れることになっていました。
けれども俊寛は、結局島に残る道を選びます。
その中に現れる人間の強さと弱さを役者が演じます。
人間愛のドラマです。
そのために近松門左衛門は「千鳥」という女性をこの島に遣わし、この地獄の島に恋の花を咲かせます。
流人の一人、青年貴族の成経(なりつね)と島の海女千鳥が恋に落ちます。
2人の恋を守るために俊寛は島に残る決意をします。
末にはこの千鳥が平家を滅ぼすことになるのですが・・・それはまた次回に