前回の続きです。
これまで調べてきた3つの宗教の共通点や違いが少し明らかになってきましたね。
例えば、現在のエルサレムはあの狭いエリアの中に聖地がいくつもあります。
例えば、モーセの石板を収めた神殿がありましたね。
2回破壊された歴史があります。
その神殿の外壁がわずかに残っていますが、その壁こそが「嘆きの壁」と呼ばれているところです。
その嘆きの壁のすぐ近くに、キリスト教の「聖墳墓教会」があります。
ここはイエス・キリストが処刑され埋葬され、3日後に復活を果たしたといわれお墓のある教会です。
また歩いて行ける距離にイスラム教の「岩のドーム」があります。
この岩にはムハンマドが天に飛び立つ際に、彼の足跡が残っだと言われています。
その岩場を保存しようとして、巨大なドームが建設されています。
これらの聖地は厳重に区分され、国連が管理しています。
すごい街になってますね。
ちょっと位置関係を見てみましょう。
このような感じで歩いて行ける距離に聖地が密集しています。
こんな街ですから領有権をめぐる歴史上の争いは絶えませんでした。
ローマ帝国が追いやられた後はイスラム教系の国々がどんどん拡大しました。
信者が爆発的に増えたイスラム系の国がこの地を支配していました。
ここから1096年〜1272年の十字軍遠征の話になります。
キリスト教はローマ帝国時代、ヨーロッパ全土に広まっていました。
しかし中東世界はイスラム教の国々が支配していました。
当時のローマ教皇は、各国の権力者よりも力を持つようになってしまいました。
なぜなら、キリスト教の信者は爆発的に増え、時の権力者たちもキリスト教の信者になっていたからです。
「カノッサの屈辱」と歴史上の事件をご存知でしょうか?
ローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝との聖職叙任権を巡る対立から起こった事件です。
教皇vs皇帝はどちらが強いのか?当時の権力関係を現した事件でした。
1077年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が破門を恐れてローマ教皇グレゴリウス7世に許しを請うたのです。
この絵の中には、教皇に平伏する皇帝の姿が描かれています。
しかも、皇帝は靴さえ履かせてもらっていません。
ハインリヒ4世にとっては屈辱でしたが、結局グレゴリウス7世は皇帝の聖職叙任権否定を認めさせたうえで破門を取り消しました。
その後も皇帝と教皇の対立は続きますが、11世紀末にはローマ教皇の権力確立に向かって行くのです。
簡単に言えばその当時宗教指導者であった教皇は皇帝よりも強かったというわけです。
つづく