昨日の続きです。
このように教皇は強大な権力を持つようになりました。
さらに権威を高めようという流れの中で、「この勢いでエルサレムを取り戻そう!」と言う考えが浮かびます。
このように、キリスト教のヨーロッパ諸国が、イスラム教から聖地エルサレムを奪還するために起こした軍事行動が十字軍遠征なのです。
その遠征がなんと約200年も続くことになるのです。
「十字軍」とは良い呼び名ですが、実際はむちゃくちゃな戦い方をしていました。
そもそもエルサレムははるかに遠い地でした。
疲労困憊の兵士たちが戦って、確かにエルサレムは奪還しました。
しかし、周りはイスラム教の国々に囲まれていますから孤立無縁となります。
そうこうするうち、やはりエルサレムはイスラム教の国々に取り返されます。
しかし、十字軍も長引くうちに規律も戦意も低下し、4回目以降はならず者の集団のようになってしまいます。
略奪や破壊などを繰り返し、そのイメージがそのまま「十字軍」のイメージとなって固定してしまうのです。
もともとこれまで見てきたように、イスラム教はキリスト教に対しても好意的ではないまでも、理解を示してきていました。
しかし、この十字軍のせいでイスラム教徒はキリスト教を見限ってしまうのです。
この事はローマ教皇に対しても影響与えてしまいます。
200年にもわたって兵士を派遣し、戦争を続けるローマ教皇の権威は失墜します。
そして、ついに1303年「アナーニ事件」が起こります。
以下、ウィキペディアより
アナーニ事件(アナーニじけん、Outrage of Anagni)は、1303年にフランス国王フィリップ4世がローマ教皇ボニファティウス8世をイタリアの山間都市アナーニで捕らえた事件。
フィリップ4世はローマ教会にも圧力をかけ、クレメンス5世をアヴィニョンへ移住させ、アヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)を引き起こして教皇権に対する王権の優位を確立した。
事件は教皇権力の衰退と王権の伸張を印象づけ、近世絶対王政にいたる重大な一里塚となった。
と解説されています。
この段階でまた教皇と皇帝の立場は逆転するのです。
その後もイスラム教は様々なトラブルに見舞われ続けることになりますが、イスラム圏がエルサレムを確保していたことには間違いありません。
しかし、そこにまた、大きな問題が降りかかるのです。
第一次世界大戦が始まるのです!
第一次世界大戦当時、世界の覇権を握っているのはイギリスでした。
イギリスは中東を支配していたオスマン帝国に圧力をかけようとしていました。
イギリスとフランスにロシアが加わった「三国協商」という同盟がありました。
その同盟を使ってオスマン帝国を潰そうとしたのです。
イギリスはオスマン帝国を倒すために、いろんな策を練り始めます。
当時、帝国の中で不満を持っていたアラブ人に内乱を起こさせるよう企だてたのです。
ここから後の中東世界に大変な悪影響を及ぼす最悪の「イギリスの三枚舌外交」が始まるのです!
次回は、この悪名高い「イギリスの三枚舌外交」を掘り下げてみたいと思います。
つづく