hayatouriの日記

はやとうり の独り言

モネと北斎と広重と その2

昨日の続きです。

 

かなり慌ただしくモネの展示会を見てきました。

 

これで午前中が過ぎてしまいました。

 

いつものように、中之島美術館の入り口すぐ前の蕎麦屋さんで昼食をとり、中之島香雪美術館に向かいます。

 

ちょうどこの辺は官庁街で、飲食店は日曜日がお休みのところが多く私が入った後には長蛇の列となっておりました。

 

 

北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦
江戸東京博物館コレクションより

中之島香雪美術館
開催期間:2024年4月13日(土)~2024年5月26日(日)

 

やはりこちらも相当な人気で、私のようにダブルヘッダーを組んでいる人たちも多いようです。

 

 

 

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さぁ、いよいよ北斎と広重を見学です。

 

その前に少しだけ北斎と広重の人となりを見てみたいと思います。

 

葛飾北斎歌川広重安藤広重)はとても有名で誰もが知っていると言っても過言ではないですが、少しおさらいをしたいと思います。

 

葛飾北斎は名作「Great Wave」や「赤富士」を描いた江戸時代の浮世絵師です。

 

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葛飾北斎(かつしかほくさい・1760-1849)は江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。

 

現在の東京都墨田区に生まれ、幼い頃から絵を描くことに熱中し、十代の終わりに人気浮世絵師・勝川春章に入門し、絵師となりました。

 

その代表作が「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」という46図におよぶ浮世絵版画のシリーズです。

 

北斎は、圧倒的な画力と奇想天外なアイディアとで、全図各地から眺めたさまざまな富士山の姿を描きました。

 

彼の絵版画は後ほどたっぷりとご紹介したいと思います。

 

富嶽三十六景」の中に描かれた富士山は、陽光に山肌を赤く染めた雄壮な姿であったり、雷雲の上に頂を突き出す荘厳な姿であったかと思えば、橋桁のはるか向こうや桶の輪の中からのぞく小さな姿だったりと、多種多様。

 

中でも「波間の富士」の俗称をもつ「神奈川沖浪裏」は、ダイナミックな構図の中に、大自然の脅威と人間の営み、そして全てを超越する霊峰の姿を見事に描いた傑作として、海外でも"The Great Wave"の呼称で知られています。

 

北斎はとにかく研究熱心な努力家だったようです。

 

浮世絵の様式を習得するだけでは飽き足らず、さまざまな画派の技法を取り込み、中国や西洋の絵画も研究しました。

 

実際に展示されていましたが、詳細に西洋の遠近法の「法則」を研究した下書きなども残されています。

 

例えば四角い和紙を水平に3等分し、できた1番下の線上を頂点として左右の上下両端から直角三角形を描き出します。

 

これを絵版画の基本構造として遠近法を用いたりしました。

 

師の春章のもとを離れ、長年オーダー品と読本の挿絵を描いて生活してきた北斎

 

錦絵(多色摺版画)というフィールドに再チャレンジし名作「富嶽三十六景」を発表したのは、なんと70歳を過ぎてからでした。

 

すごいですね、このバイタリティー

 

つづく

 

 

モネと北斎と広重と  その1

 

先日大阪に行って参りました。

 

Awesome City Clubがほぼ2年ぶりに「サンケイプリーゼ」でライブを行うということで出かけることにしたわけですが、実はその前にもう一つ大きな目的がありました。

 

1つは中之島香雪美術館で開催されているこれです。

 

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そしてもう一つは中之島美術館で開催されているこれです。

 

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実はこの2つの美術館は非常に接近していて、歩いて5分位で行くことができます。

 

車で行くので、駐車場は現在運営していない大阪市立科学館の横の駐車場を使えば直近の駐車場になります。

 

この2つの美術館に行くには徒歩10分以内です。

 

実は、北斎の浮世絵は西洋絵画に大きな影響を与えていますが、なんとモネ自身にも大きな影響与えているのです。

 

何かの縁でしょうが、この2人の美術展がこんなに近くで行われるということが大変面白く思われます。

 

さてまずはモネの美術展から撮影可能なものを一部を紹介したいと思います。

 

皆さんも、その雰囲気だけでも味わっていただければと思います。

 

ただし、この2つの絵画展は圧倒的な人出でありまして、まるで通勤電車のような具合でした。

 

写真撮影も正面で構えることもできずやや斜めや、画角への人の入り込みを避けるため微妙に変な角度になっています。

 

そこら辺をお許しいただきたいと思います。

 

では、早速モネの方から・・・

 

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こんな具合に長いエスカレーターを上っていきますと、左前方にこのような垂れ幕がかかっています。

 

会場入口はこのようになっており、雰囲気が盛り上がってきますね。

 


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ここが、いわゆる自撮り撮影ポイントで、記念撮影をする人が多いです。

 

いっぺんに入場すると混乱しますので入場規制と人数制限があります。

 

もちろん絵画の解説を聞くためのイヤホンと機械もお金を出せば貸してくれます。

 

ここからは、撮影可能な部分の一部絵画紹介です。

 

 

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こんな感じで撮影オーケーのサインが出ています。


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どうですか?

 

雰囲気だけでも伝わりましたでしょうか?

 

つづく

 

 

 

 

 

 

ゴリゴリ!

どうも〜皆さんこんにちは!

 

ヌートバーです! 

 

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ということで始まりました今回のブログ。

 

前回まで、ずいぶん重く長いブログでしたので今回は軽やかに行きたいと思います。

 

さてヌートバーと言えば、ワールドクラシックチャンピオンシリーズで「ペッパーミルパフォーマンス」を一躍日本に広めたので有名ですね。

 

もともとペッパーミルパフォーマンスは カージナルスで行っていたもので、「粘り強くやる」などの意味が込められているそうです。

 

私もYouTubeなどで料理や魚をさばくチャンネルをよく見ています。

 

イタリアンの巨匠などが「ゴリゴリ」とかっこよく、ペッパーミルやソルトミルを使っているのを見るとやってみたくなりました!

 

そんなわけで生まれて初めてペッパーミルとソルトミルを通販で購入してしまったわけです。

 

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と、まぁこういうタイプのものなのですが、それはたくさんのモデルがあります。

 

大きさもまちまちで電動タイプのものもあります。

 

製品へのコメントを参考に、今回はこれにしました。

 

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このようにトップの部分にペッパーがソルトがわかるように刻印がしてありますが、構造は2つとも同じみたいでした。

 

 

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そして、トップ部分を回して取り外しますと

 

 

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このような感じで上部が取り外せます。

 

拡大すると

 

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こんな感じになっています。

 

この隙間から胡椒や岩塩を落とし込むわけですね。

 

近所のスーパーで胡椒と岩塩を探しましたが、岩塩は既にすりおろしたものしかなく、通販で注文することにしました。

 

胡椒はありましたよ。

 

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これを入れてみました。

 

 

 

そうして、外した逆手順で、元の通り組み直すと完成です。

 

トップ部分を時計回りに絞ればすりおろす粒が小さくなります。

 

反時計回りに緩めれば、粗挽きになります。

 

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お分かりになりますでしょうか?

 

ティッシュの上にすりおろしてみました。

 

さて、早速料理に使ってみてわかりました!

 

調理が仕上がった段階で、もう一回ゴリゴリっとすると、胡椒の香りがずいぶん引き立ちます。

 

そして不思議なことに、ただゴリゴリするだけで自分が本格的な料理を作っているような気分になるんですね。

 

既にペッパーミルなどをお持ちの方には、釈迦に説法みたいなものでしょうが、もし興味がお有りでしたら一度購入してみても良いのではないかと思います。

 

結構楽しいもんですよ!

 

 

 

 

日航123便の謎 その18

昨日の続きです。

 

これまでこのブログの中で取り上げてきたように、多くの疑問が残る日航123便墜落事故についてまとめてみたいと思います。

 

①あの日、まだ日の明るいうち、墜落前の123便を追尾するファントムを目撃した人たちがいる事実。

 

123便のお腹付近に濃い赤色の大円や円筒形をした物体が吸着しているように見えた事実。

 

③墜落、現場付近の人に目撃された真っ赤な飛行機の存在。

 

④検死した医師達が見た凄惨な遺体状況や炭化した遺体への疑問。

 

⑤さらにいまだに引き上げようとしない海底に沈んだままの機体の残骸。

 

ボイスレコーダーもフライトレコーダーも全面開示されていない。

 

日本航空の社内でも日航123便以外の事故の生のボイスレコーダーは社員に公開されています。
しかし、この件に関しては、何度乗員側が申し出ても「遺族への配慮」と言う理由で公開されませんでした。


⑤が突然に出てきたと思われる方も多いと思いますので、説明をさせていただきます。

 

実はANNが情報公開請求で得た資料などから、残骸が沈んでいるとされる相模湾の海底を調査し、123便の部品の可能性がある物体を発見したのです。

 

これはテレビのニュースでも放映されました。

 

2015年7月29日、静岡県東伊豆町の沖合約2.5km、123便の推定飛行ルートの真下にあたる水深160mの海底で垂直尾翼と思われる物体が確認されました。

 

パネル状の部分は四角形に見え、側面にある黒い部分には数字などが書かれています。

 

調査にあたった専門家は、1.5mから2mほどの大きさではないかとしています。

 

当時、事故調査委員会のメンバーとして墜落の原因を調べた斉藤孝一さんは「この映像だけでは分からない」としたうえで、123便の残骸である可能性を指摘しました。

 

当時の事故調査官・斉藤孝一さん:「仮に航空機の部品だとすると、『APU』のまわりに取り付いている『コントロールボックス』といわれてるようなもの」

 

※APUは機体後部にある補助エンジンで、客室に空気を送ったり電気を付けたりする役割があります。

 

斉藤さんは圧力隔壁の破壊という事故原因は変わらないとしたうえで(???)、残骸が見つかれば事故の状況がより詳細に分かる可能性があるとしています。

 

123便を巡っては、相模湾上空でのトラブルの際に機体から落ちた垂直尾翼の大半やAPUを含む機体後部の部品が見つからないまま、事故から1年10カ月後に調査が終了しています。

 

国の運輸安全委員会はこの映像を見たうえで、「当委員会としてのコメントは差し控えさせて頂きます」としました。

 

国も国土交通省も、この後もこの物体の引き上げをせずに放置しています。

 

色々と理由をつけていますが、この深さであれば簡単に引き上げが可能です。

 

ダイバーによる商業的な水中作業の深度的限界は300m以内であり充分対応できる深さです。

 

引き上げてしまえば、訓練用のミサイルが尾翼を直撃したのであれば、尾翼の残骸にオレンジ色の塗料が付着している可能性もあるのです。

 

何かを隠しているとしか考えられません。

 

これらのポイントを繋げ合わせると見てくるものがあります。

 

最近になって、ようやく当時の記憶を語る住民の方々も多くなってきました。

 

この不可解な日航123便墜落事故からもう39年も経っています。

 

しかし、未だに「真実を知りたい」と果敢に裁判に挑む遺族の方々もいらっしゃいます。

 

この事故の真実を明らかにする事はわが国のあり方にとっても非常に大切なことだと思います。

 

今回のブログもずいぶん長くなりましたが、もっと深く内容について知りたい方は、ぜひ青山透子さんの著書を手に取っていただけたらと思います。

 

 

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今回も最後までありがとうございました。

 

日航123便の謎 その16

昨日の続きです。

 

複数目撃されている「赤い飛行機」について調べています。

 

目撃情報の重要な点を整理してみると

 

1・墜落前に大きい飛行機と小さいジェット機機が追いかけ状態であった。

 

2・真っ赤な飛行機が飛んでいた

 

3・墜落前後稲光のような閃光と大きな音を見聞きした。

 

4・墜落場所は上野村と特定できて報告したにもかかわらず、テレビやラジオでは場所不明、または他の地名を放送し続けていた。

 

5・墜落後多数のヘリコプター、自衛隊の飛行機、自衛隊や機動隊の車などを目撃した。

 

6・ヘリコプターは、墜落場所をサーチライトのような強い光で照らしながら、多数行き来していた。

 

7・煙と炎の上がった山頂付近をぐるぐると回りながら何かをしている。

何機もヘリコプターがブンブンと飛んでいた。

 

 

子供たちがこのように証言をする中で、墜落場所が不明だったとか、当時は仕方なかったとかメディアも政府ももはや言い逃れはできないでしょう。

 

これらの目撃情報をつなぐと、日航123便の動き方も参考になります。

 

高浜機長はこのミサイルの存在を知っていたのではないかと考えられます。

 

低空飛行して、右に旋回しても付いてくるし、静岡を過ぎ、大月上空でくるりと回ってみたもののまだ付いてくるのです。

 

おそらくは、ファントムのパイロットにも確認を取ったところ、何らかのミサイルのようなものが機体に付きまとっていると報告を受けたのではないでしょうか。

 

上野村での目撃情報によると、123便の墜落直前に自衛隊のファントムは燃料切れが近づいたようで、埼玉県方向に飛び去っています。

 

このような状況を考えると、日航123便と同時に「赤い飛行機」は同じ場所に飛び散ったと考えるのが自然です。

 

そう考えれば、123便の墜落場所を一晩隠し、特殊任務を帯びた自衛隊特殊部隊が人命を蔑ろにしててでも、優先して「赤い飛行機」の残骸を一晩中拾い集めたとしたら・・・辻褄が合います。

 

この「赤い飛行機」とは何だったのでしょうか?

 

この写真をご覧いただきたいと思います。

 

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これは無線誘導の亜音速無人ジェット機で、誘導弾用の標的機で通称「ファイアー.ビー」と呼ばれるものです。

 

第2次大戦以降、急速に進歩したミサイル等の標的機として、1950年ごろ米国のライアン航空機会社で開発されたBQM-34を日本でライセンス生産したのが「BQM-34AJ」です。

 

その後1992年からは性能向上型の「BMQ-34AJ改」が運用されています。

 

従来機の発進、指令、飛行制御、低高度飛行、回収機能に追加して、ヘディングホールド機能、ベアリングホールド機能、プログラムフライト機能の他、 TACAN誘導機能を追加されました。

 

訓練支援艦「くろべ」「てんりゅう」に搭載され、標的機多重管制装置により飛行管制されます。

 

機体はアルミ合金製のセミモノコック構造で、ノーズコーンとテールコーンがFRP製となっています。

 

ファイアー・ビーはそれ自体が標的となるのではなく、「トービー」と呼ばれる曳航標的を曳いて飛行するための標的曳航機です。

 

海上自衛隊では護衛艦に装備している5インチ速射砲や艦対空ミサイル用の訓練に使用されていました。


このように標的機は目立つように「赤い塗料」を塗られていたのです。

 

そして翼を有するこの形状をご覧いただくと、まさに「赤い飛行機」と目撃者が表現している意味がよくわかると思います。

 

つづく

 

 

 

 

日航123便の謎 その15

昨日の続きです。

 

何しろ123便が墜落したその夜、様々な不思議なことが御巣鷹山で起きていたのです。

 

そして、なんとその年のボーイング社の売り上げが爆発的に増加したのです。

 

これをどう説明すれば良いのでしょうか?

 

日本において「修理ミスを犯して」520人もの命を奪った会社の製品を同じ年内に大量購入する政府や日本航空全日空についてはまさに異常だと言わざるを得ません。

 

例えば、皆さんが自分の車の修理ミスがあったせいで、大事な家族を奪われたり大怪我をした場合、次の自動車を買う時はもう一度同じ会社の製品を買いますか?

 

ありえない話です。

 

そして、いまだに解明されていないもう一つ「不思議な赤い物体」の目撃情報が多数ありました。

 

当時22歳の小林さんという女性がいました。

 

8月12日、いつも17時30分に終わる仕事が18時30分ごろになってしまいました。

 

外に出た瞬間、すごい音がするので、上を見上げると傾きながら飛行しているジャンボジェットが見えたのです。

 

そのジャンボジェットの機体の左下のお腹の部分に、4〜5メートル位の円筒形で真っ赤または濃いオレンジ頭形の何かがお腹に張り付いているように見えました。

 

その機体を見た後、いつも通りの道を車に乗って帰宅途中、今度は目の前を飛ぶ2機のファントムを見たのです。

 

小林さんは、子供の頃から近くにある航空自衛隊第11飛行教育団静浜基地のイベントなどによく出かけ、ファントムの展示などを目にしていました。

 

「ファントムが飛んでいる!」とすぐわかったといいます。

 

当然、戦闘機のパイロットもこの「赤い物体」を目撃しているはずです。

 

群馬県上野村立、上野小学校148名の日航機墜落、事故についての文集『小さな目は見た』の中にも同様な目的情報が出てきます。

 

2機のジェット機はもちろんですが「真っ赤な飛行機」も目撃されています。

 

新聞報道や上野村の子供たち、大人も含めた地元の人々が語る中では・・・

 

「赤い閃光」
「ピカピカ光るもの」
「赤い流れ星」
「雷のような光」
「真っ赤な飛行機」

 

というように表現されています。

 

どうやらこれは普通の戦闘機ではなさそうです。

 

一方で、高速で飛んでいる飛行機にコバンザメのように何かが付着しているとは事は考えにくいでしょう。

 

だとすれば、小林さんが言うように、低空飛行中の飛行機の左脇腹腹部にピタッとついてきた物体とすると、可能性のあるものが考えられます。

 

有力なものが誘導弾、いわゆるミサイルです。

 

つづく

 

 

日航123便の謎 その14

昨日の続きです。

 

そして事故翌日、早朝川沿いに歩き、生存者がいた沢から現場に入った消防団、警察関係者は既に山頂から降りてくる自衛隊員を目撃していたのです。

 

ただ、彼らは救出活動をしていませんでした。

 

想像を絶する前代未聞の背筋が凍りつくような恐ろしいミッションが行われていたのです。

 

つまり証拠隠滅のために夜、山に入った自衛隊の特殊工作部隊別班が、火炎放射器を使って現場を全部焼き払った可能性が極めて高いのです。

 

そう考えることが完全炭化した数多くの遺体が残された原因だと考えると自然です。

 

例えば、客室乗務員たちの顔や体は焼けこげて炭化していました。

 

しかし、なぜか制服だけは検死を担当した医師たちも「不燃服なのか?」と不思議がるほどに燃えていないのです。

 

しかし、客室乗務員の制服は普通のニット素材です。

 

ここで思い浮かぶのが検死を担当した警察医の書き残した「まるで二度焼き」と言う印象です。

 

もしかして、その二度焼きの対象から客室乗務員が外されていたのではないだろうかと考えることも不思議ではありません。

 

例えば二度焼きが、何者かの意図によって発生したのであれば、制服が不燃布でない客室乗務員の制服が燃えていない事は、その行為を行った誰かたちになんらかの心理的な作用をあたえたものではないだろうかとも考えられるのです。

 

また不思議なことに、機長の制服だけはどこをどう捜索しても見つかりませんでした。

 

副操縦士航空機関士の制服は残っています。

 

しかも機長の遺体も、顎と歯のほんの一握りしかありませんでした。

 

そのご遺体は炭化をしていませんが、なぜか制服が消えているのです。

 

本当に不思議なことが墜落現場で起こっているのです。

 

そしてパイロットや乗務員や乗客の口封じはできても、事件そのものをなかったことにすることはもはやできません。

 

いかなるばあいにも、この真実を国民の前にあきらかにするわけにはいかないのです

 

何か理屈をつけて誰かに責任を押し付けなければなりません。

 

そこで当時の日本政府、あるいは当時の中曽根総理の判断として、ボーイング社に責任を被ってもらうということにしたとすればすべての辻褄が合います。

 

つまり、全くミスをしなかったボーイング社ですが、自分たちが圧力隔壁の修理ミスをして、日本史上最大の飛行機事故を起こしましたと泥を被るストーリーが出現するのです。

 

しかし、これは大変な借りをアメリカとアメリカ軍とボーイング社に作ってしまうことになります。

 

そして、案の定不思議なことが起こります。

 

123便が墜落した1985年、最高の売り上げを記録した航空機メーカーはなんと「修理ミス」を犯したボーイングだったのです。

 

修理ミスをされた日本航空側も、自衛隊全日空も、みんなボーイング社製品を購入しているのはなぜなのでしょうか?

 

実は、1985年12月27日の日本経済新聞はこのように報道しています。

 

「今年6機落ち、死者1100人--ボーイング受注最高2兆49 0 0億円」

 

まさに、1985年はボーイング社にとって史上最悪の事故の当たりとしてあるにもかかわらず、民間航空機の大量受注に加えて、特に防衛や宇宙関連部門が好調で「上げ潮」だと書いています。

 

これをどう説明すれば良いのでしょうか?

 

つづく