昨日の続きです。
そして事故翌日、早朝川沿いに歩き、生存者がいた沢から現場に入った消防団、警察関係者は既に山頂から降りてくる自衛隊員を目撃していたのです。
ただ、彼らは救出活動をしていませんでした。
想像を絶する前代未聞の背筋が凍りつくような恐ろしいミッションが行われていたのです。
つまり証拠隠滅のために夜、山に入った自衛隊の特殊工作部隊別班が、火炎放射器を使って現場を全部焼き払った可能性が極めて高いのです。
そう考えることが完全炭化した数多くの遺体が残された原因だと考えると自然です。
例えば、客室乗務員たちの顔や体は焼けこげて炭化していました。
しかし、なぜか制服だけは検死を担当した医師たちも「不燃服なのか?」と不思議がるほどに燃えていないのです。
しかし、客室乗務員の制服は普通のニット素材です。
ここで思い浮かぶのが検死を担当した警察医の書き残した「まるで二度焼き」と言う印象です。
もしかして、その二度焼きの対象から客室乗務員が外されていたのではないだろうかと考えることも不思議ではありません。
例えば二度焼きが、何者かの意図によって発生したのであれば、制服が不燃布でない客室乗務員の制服が燃えていない事は、その行為を行った誰かたちになんらかの心理的な作用をあたえたものではないだろうかとも考えられるのです。
また不思議なことに、機長の制服だけはどこをどう捜索しても見つかりませんでした。
しかも機長の遺体も、顎と歯のほんの一握りしかありませんでした。
そのご遺体は炭化をしていませんが、なぜか制服が消えているのです。
本当に不思議なことが墜落現場で起こっているのです。
そしてパイロットや乗務員や乗客の口封じはできても、事件そのものをなかったことにすることはもはやできません。
いかなるばあいにも、この真実を国民の前にあきらかにするわけにはいかないのです
何か理屈をつけて誰かに責任を押し付けなければなりません。
そこで当時の日本政府、あるいは当時の中曽根総理の判断として、ボーイング社に責任を被ってもらうということにしたとすればすべての辻褄が合います。
つまり、全くミスをしなかったボーイング社ですが、自分たちが圧力隔壁の修理ミスをして、日本史上最大の飛行機事故を起こしましたと泥を被るストーリーが出現するのです。
しかし、これは大変な借りをアメリカとアメリカ軍とボーイング社に作ってしまうことになります。
そして、案の定不思議なことが起こります。
123便が墜落した1985年、最高の売り上げを記録した航空機メーカーはなんと「修理ミス」を犯したボーイングだったのです。
修理ミスをされた日本航空側も、自衛隊も全日空も、みんなボーイング社製品を購入しているのはなぜなのでしょうか?
実は、1985年12月27日の日本経済新聞はこのように報道しています。
「今年6機落ち、死者1100人--ボーイング受注最高2兆49 0 0億円」
まさに、1985年はボーイング社にとって史上最悪の事故の当たりとしてあるにもかかわらず、民間航空機の大量受注に加えて、特に防衛や宇宙関連部門が好調で「上げ潮」だと書いています。
これをどう説明すれば良いのでしょうか?
つづく