昨日の続きです。
複数目撃されている「赤い飛行機」について調べています。
目撃情報の重要な点を整理してみると
1・墜落前に大きい飛行機と小さいジェット機機が追いかけ状態であった。
2・真っ赤な飛行機が飛んでいた
3・墜落前後稲光のような閃光と大きな音を見聞きした。
4・墜落場所は上野村と特定できて報告したにもかかわらず、テレビやラジオでは場所不明、または他の地名を放送し続けていた。
5・墜落後多数のヘリコプター、自衛隊の飛行機、自衛隊や機動隊の車などを目撃した。
6・ヘリコプターは、墜落場所をサーチライトのような強い光で照らしながら、多数行き来していた。
7・煙と炎の上がった山頂付近をぐるぐると回りながら何かをしている。
何機もヘリコプターがブンブンと飛んでいた。
子供たちがこのように証言をする中で、墜落場所が不明だったとか、当時は仕方なかったとかメディアも政府ももはや言い逃れはできないでしょう。
これらの目撃情報をつなぐと、日航123便の動き方も参考になります。
高浜機長はこのミサイルの存在を知っていたのではないかと考えられます。
低空飛行して、右に旋回しても付いてくるし、静岡を過ぎ、大月上空でくるりと回ってみたもののまだ付いてくるのです。
おそらくは、ファントムのパイロットにも確認を取ったところ、何らかのミサイルのようなものが機体に付きまとっていると報告を受けたのではないでしょうか。
上野村での目撃情報によると、123便の墜落直前に自衛隊のファントムは燃料切れが近づいたようで、埼玉県方向に飛び去っています。
このような状況を考えると、日航123便と同時に「赤い飛行機」は同じ場所に飛び散ったと考えるのが自然です。
そう考えれば、123便の墜落場所を一晩隠し、特殊任務を帯びた自衛隊特殊部隊が人命を蔑ろにしててでも、優先して「赤い飛行機」の残骸を一晩中拾い集めたとしたら・・・辻褄が合います。
この「赤い飛行機」とは何だったのでしょうか?
この写真をご覧いただきたいと思います。
これは無線誘導の亜音速無人ジェット機で、誘導弾用の標的機で通称「ファイアー.ビー」と呼ばれるものです。
第2次大戦以降、急速に進歩したミサイル等の標的機として、1950年ごろ米国のライアン航空機会社で開発されたBQM-34を日本でライセンス生産したのが「BQM-34AJ」です。
その後1992年からは性能向上型の「BMQ-34AJ改」が運用されています。
従来機の発進、指令、飛行制御、低高度飛行、回収機能に追加して、ヘディングホールド機能、ベアリングホールド機能、プログラムフライト機能の他、 TACAN誘導機能を追加されました。
訓練支援艦「くろべ」「てんりゅう」に搭載され、標的機多重管制装置により飛行管制されます。
機体はアルミ合金製のセミモノコック構造で、ノーズコーンとテールコーンがFRP製となっています。
ファイアー・ビーはそれ自体が標的となるのではなく、「トービー」と呼ばれる曳航標的を曳いて飛行するための標的曳航機です。
海上自衛隊では護衛艦に装備している5インチ速射砲や艦対空ミサイル用の訓練に使用されていました。
このように標的機は目立つように「赤い塗料」を塗られていたのです。
そして翼を有するこの形状をご覧いただくと、まさに「赤い飛行機」と目撃者が表現している意味がよくわかると思います。
つづく