昨日の続きです。
息子から質問が出ました。
「自分たちで頑張れなくなった時、例えば施設に入ったりした場合、自分たち(息子と娘)は東京と沖縄に住んでいて、和歌山だとそんなにめったに介護や面会にも行けない環境にある。
まして、姉ちゃんは子育てをしてたり、また自分は東京で、ある種スケジュールに追われて仕事をしている。
そうなった時には二人はどうしたらいいと思っているのか?
和歌山を離れることも可能かどうか?」
との質問でした。
私たちは即答でした。
「そこはあなた方の考えに従います」
というものでした。
これまで両親を看取ってきた経験からいつも思っていました。
人間生まれる時だって、母親がいたり他人の助けが必要です。
死ぬ時だって同じなのです。
幸か不幸か、結局人は一人では死ねないのです。
このような話を進めていくうちに、いつしか娘や息子たちの将来についても話が進んでいきました。
娘については、これからずっと沖縄に住み続けるのかどうか?
住み続けるとすれば、今は賃貸のアパートだけど将来家やマンションは持ちたいのかどうか?
だとすれば私たち親にできる事は何かあるのか?
子ども(私たちにとっては孫)たちの将来は、どんなふうになりそうなのか?
そんなやりとりを通じて、孫たちの最近の様子もよくわかるようになりました。
息子については他の全員が気がかりにしているのですが、将来結婚についてどう考えるのか、その予定はあるのか?
など質問が出ました。
それについて、彼は彼なりの今考えてる仕事観や結婚観を正直に伝えてくれました。
このような話はおそらく初めてできたような気がします。
あと、すでに年金受給の年齢に達した私達両親の現在の健康状態や身体の状態についても、しっかり伝えることができたと思います。
ゴールデンウィークの沖縄という、ある種特別な環境と時間が作ってくれた本音トークの時間だったと思います。
もちろん、それぞれの仕事や生活の中では、自分たちだけで消化しなければならない様々な課題があるでしょう。
そのことついて完全に分かり合う必要もないと思います。
しかしもう何年かすれば、4人の家族のうち、誰かが欠けていることも考えられるのです。
今回のみんなでの話し合いはとても有益だったと思います。
それは、息子や娘が社会人となって様々なことがわかるようになったからだと思うのです。
つまり「大人の話」がみんなでできるようになったのは良いことだと思います。
家族がそれぞれ元気なうちに、たまに機会を見て、真剣に将来の話をする事は残された時間を有意義に過ごすためにも必要だと思います。
また親と子という関係だけではなく、お互いそれぞれ自分を含め相手の立場を認めあった上で、課題や問題点も共通認識にしていく事は、いざと言う時に大変役立つに違いないと思います。
私も仕事柄、数多くのご高齢の方たちと出会ってきました。
多くの方々は、いざ子ども達とのコミュニケーションになるとガンバリすぎる傾向がありました。
つづく