以前、このブログの中で11月に叔父がなくなったと書かせてもらったことがあります。
今回は、その叔父の事など少し書いてみたいと思います。
叔父は昭和7年4月25日生まれですから、91歳を過ぎたところでした。
上に、亡くなった私の母を筆頭に姉3人がおり、末っ子で唯一の男の子でした。
しかし、戸籍を見てみると、兄弟姉妹は8人生まれておりますが4人は幼くして亡くなっています。
生前聞いた話によれば、幼い頃父親を亡くしたので顔も覚えていないとの事です。
私から言えば祖父になりますが、戸籍を見れば37歳で亡くなっています。
私の母親の記憶によれば、祖父は4〜 5日のうちに顔が崩れてしまったと言いますのでヘルペスのような病気ではなかったかと思われます。
叔父は幼い頃、病気で聴力が落ちたようで若い頃からずっと補聴器をつけて暮らしていました。
何とか手に職つけようと和歌山市の建具屋さんに就職しました。
それから、定年まで建具職人として働いています。
1つ年下の妻との詳しい出会いのきっかけなどは聞いていませんが、昭和34年3月3日に婚姻届を出しています。
2人に子供はおらず、甥の私たちをずいぶん可愛がってくれたものです。
私が結婚して、和歌山市で暮らし始めたこともずいぶん喜んでくれました。
私の子供たちが生まれると、まるで我が事のように喜んでくれて、夫婦でよく子供たちの顔を見に来てくれました。
叔父は車の免許を持っていなかったため、いつもホンダのカブに2人乗りして来てくれたものです。
私たち家族が、1995年に両親の面倒を見るため引っ越したのでその後頻繁には連絡を取っていませんでした。
叔父にとっては不幸なことだったのですが、妻の認知症が進行し、自宅では暮らせないような状態になってしまいました。
叔父は約20年の間、一人暮らしを続けていたのです。
私の母を筆頭に姉3人は既にこの世を去りました。
実は今年になり、私も高齢になった叔父のことが気になり始めていました。
これまでは年に2〜3回は電話をしていたのですが、相変わらず元気にしているとの返事ばかりです。
ところが、今年の5月の末に電話したときには、「入院を勧められている」と話したのです。
「歩くのがしんどい」「息苦しい」などの自覚症状がありました。
5月28日に急遽、妻と2人で訪問することにしました。
いつもなら「遠いから来なくていいよ」と言う叔父が、その時に限っては、断ろうとはしなかったのです。
この辺から、何やら因縁めいたものが動き始めた気がしていました。
つづく