昨日の続きです。
ご住職もお通夜の30分ほど前に来てくれました。
片道約1時間ほど車で走ってもらわなければなりませんでしたから、大変申し訳なく思いました。
そもそもまだ戒名がないので、本名で位牌を作りました。
ご住職の話によれば、ずっと本名で行う人もあるようで「それもまたよし」とのことです。
参列者2人だけですが、ご住職はいつもと変わらない様子でお経を唱えてくれました。
通夜が終わり、その日も私たちは自宅にいったん引き上げました。
明日は1時から葬儀だったのですが、この日も、住職は30分ほど早めに到着しました。
すると、昨夜戒名を考えていてくれたようで位牌には既にその名前が記されていました。
ついでにと言って、なんと叔母の戒名まで既に考えておられたようで、紹介してくれました。
生きているときに、戒名を決めることもよくあることだそうです。
今までの話を総合して、私の先祖代々のお墓に叔母も入るのであろうとのお考えからでしょう。
喪主を妻にして予定通り滞りなく葬儀も終了。
その後、叔父は和歌山市斎場にてお骨となりました。
最後にご住職がこう言いました。
「おじさん、おばさんで永代供養を考えておられたようだけども、うちのお寺値段高いよ〜(笑)
もう、お祀りする人がなければ仕方がないけど、先祖代々のお墓に入れてくださるならそれもよろしい。
一応、寺からはきちんとおじさんの法事のご案内は出すけども、そんなに堅苦しく考えずに、お父さん、お母さんのお墓参りの際に、一緒に手合わす程度で充分ではないかなあ?
別に、寺から連絡が来たところで、その通りしなければならないということは無いのだから、堅苦しく考えなくてもいいと思います」
いやいや、そう言っていただけると気持ちがすっと楽になりますね。
なかなかそうでないお寺のお話もよく聞きますので、ありがたい限りです。
思えば、11月15日朝8時30分に連絡が入り、11月17日午後4時半にはお骨となって帰ってきたのです。
私たちにとっては怒涛の三日間でしたが、叔父は最後まで自宅で過ごし、多少の事はありましたが、ほぼほぼ周りに迷惑をかけずに逝ったのです。
ピンピンコロリとまではいきませんが、こういう逝き方も良いのかもしれません。
ただ、生まれる時でも、死ぬ時でも、必ず誰かのお世話にならなければなりません。
今年、7月24日からのブログで「死に方がわからない」というテーマのそこそこ長いブログを書きましたが(機会があればもう一度お読みいただければ幸いです)しかるべき年齢になればそれなりの準備をしておかなければならないと思いました。
ちなみに、叔父から預かった貴重品は、財産関係の分は、11月29日に信託会社に引き渡しが完了しました。
まだまだあと少し仕事は残っていますが、次は叔母を見送ってあげるつもりにしています。
今回も長いブログにお付き合いいただきありがとうございました。