昨日の続きです。
倒れた叔父の第一発見者であるお隣の家を尋ねると、ご婦人だけがおられました。
今日の出来事と応急の手当てにお礼を申し上げ、現在の結果をお伝えしたところ、大変残念がっていただきました。
しばらくお話しする中で「不思議なこともあるものだ」と話し始められました。
このご婦人、実は昨日銀行でお金を下ろそうとしていました。
いつもとは違う財布を持っていて、それを開けたところ、私の名刺が出てきたと言うのです。
この名刺は初めて叔父が入院したときに、自己紹介のためにお渡ししたものでした。
名刺には私の携帯番号も手書きしておきました。
それまでは、その名刺の事など忘れてしまっていてその時に「あ!そうだったなぁ」と思い出したようです。
そして、次の日です。
お隣と叔父の家は背中合わせになっていて、玄関は向き合ってはいません。
このご婦人も、よっぽどの機会がないと裏側になっている叔父の家の玄関を覗くことなどはありませんでした。
ただその日の朝は、「なんだか、どうしてか、隣の玄関を一応みてみよう」と、思ったそうなのです。
そこで、倒れている叔父を発見したのです。
夫を呼ぶと同時に、そのまたお隣のご夫婦と4人で救急隊に連絡をしたといいます。
救急隊からは携帯のスピーカーをオンにして心臓マッサージの仕方を指導されたといいます。
それをしているうちに、約10分程度で救急隊が到着したようです。
倒れている叔父の身内の連絡先をしらないか?と救急隊から聞かれた彼女は、昨日偶然確認した私の名刺を取りに戻り、隊員に渡したといいます。
叔父が発見されたのが、午前7時40分ごろで、私の携帯電話が鳴ったのが、午前8時30分ごろだったというのは、このブログの最初に書きました。
この名刺が、救急隊から救急担当医にまた引き継がれ、医師が私に電話をかけてきたのです。
この話で初めて「なぜ救急担当医が、私の職業を知っているのか」が理解できました。
「不思議なこともあるものですね」とつぶやくように話しておられました。
手短にお礼を申し上げ、再び日赤病院に戻ることになりました。
病院に戻ると、時間は午後5時近くになっていました。
救急隊から事件性がないことを確認した医師はようやく「死体検案書」作成しており、「死亡したとき」は令和5年11月15日午前8時48分となっていました。
これで1つの山を越えることができましたが、遺体はどうするのか、親族への連絡や通夜や葬儀、病院や受けていた介護サービス等への連絡、役場等公的機関への対応、火葬の手続き、そして何より世帯ではじめての仏となったので菩提寺がありません。
さぁこれから、これらを急いで解決する必要があるのです。
一息ついている暇はありません!
つづく