昨日の続きです。
和歌山日赤に行くのは2回目です。
1回目は1993年に自分が単車で転んで、右足を骨折し入院したのがここでした。
その時は古い病棟で設備もとても古く、あまり良い印象はありませんでしたが、現在の日赤は改築されとてもきれいになっています。
午前11時に日赤には到着したのですが、外来の時間帯でもあり、駐車場の空き待ちに相当時間がかかりました。
その間にまた私の携帯が鳴りました。
今度は警察からでした。
「◯◯ さんが倒れていた場所の確認と自宅の現場検証を行いたいと思います。
病院での死亡の確認が済んだら、◯◯さんの自宅の方で立ち会いをお願いしたいと思いますので、病院出るときにこの電話番号にご連絡ください」
との事でした。
何とか車を止めて、言われた通りの場所に行くと、なぜか、消防の制服を着たかなり年配の方2人と救急外来の女性医師が待っていてくれました。
こちらにどうぞと通された小さな部屋のベッドに叔父が布団をかけられ横たわっていました。
思った以上に、美しい顔で眠っているようでした。
「状況を説明させてもらいます」と女性医師。
午前7時40分ごろ、隣の方が自宅前で倒れているのを発見。
消防に通報すると同時に、近所の方と一緒に消防からの指示に従って心臓マッサージを行ってくれたこと。
救急隊が到着したときには、既に心肺停止状態であったこと。
念のため、全身CT を撮影したところ、肺に相当な炎症が見られ、かなり重い肺炎であったと想像できるとのこと。
救急搬送する際に、救急隊員が気管挿管を行っているのだが、本来想定される場所に挿管されておらず違った場所に「迷入」しているとの事。
ただし、その事は直接死因とは関係ないが、そういう事態が起こっていたと、いうことをご報告しなければならないとの話。
ここまで来て、消防の制服の2人の意味が理解できました。
私も病院に勤めていたことがあるので、気管挿管がそれなりに経験を積まないとできない技術であることはわかっています。
いざ生死を分けるその場に及んだ時、はじめてのトライだと成功する事は難しいでしょう。
実は一般論として、病院では研修医が技術の習得のために、お亡くなりになった方に気管挿管させていただく機会があるということを聞いていました。
今回、どういった事情であったのかは分かりませんが、もしそうであればそれでもよかったと思います。
ただし、このことに関して深く詮索するのはもうやめておこうと思いました。
制服の1人が「救命のために精一杯がんばりましたが、このようなことになってしまい、大変申し訳ございませんでした」と、頭を下げてくれました。
医師は合わせてこのようにも説明しました。
「もしご家族の方が、もっと精密にこれらの原因の確認を求められるのでしたら、解剖すると手段もありますが、いかがされますか?」
私は即答しました。
「その必要はありません。消防の方には救命救急に力を尽くしていただき、むしろ感謝しております」と。
すると医師は私にこう思いました。
「私も救急の現場長くやっておりますが、今回のような症例は初めてでした。
今後の消防の救命救急の技術の向上のために、症例として勉強会などで取り上げさせていただくこともあるかと思いますが、大丈夫でしょうか?」
私は「もちろん大丈夫です」と答え、先ほど警察の方からこんな連絡が入りましたので、とりあえず◯◯の自宅に行かねばなりませんと医師に伝えました。
制服の2人は少し安堵したように深々と頭を下げて部屋を出て行きました。
午後2時近くになっていました。
ここで一旦病院を離れ、現場検証の立会に向かいます。
つづく