前回の続きです。
神宮外苑の再開発について2012年時点で森元総理の関与が、前のブログのように明らかになってきました。
そもそもこの問題の歴史を少し振り返ってみたいと思います。
東京都が2020年の前、2016年五輪の招致に動きました。
当時の石原慎太郎都知事はメインスタジアムを神宮外苑地区にある国立競技場にするつもりではありませんでした。
彼はバブル期の臨海副都心構想の失敗で放置状態だった中央区の晴海に新たに建設するとしていました。
神宮外苑一帯は風致・文教地区などに指定されていました。
そのことにより都市計画公園の建築許可などが必要な神宮外苑一帯では、高さ15メートル制限の厳しい建築制限がしかれているのです。
新国立競技場のような高層建築は条例に引っかかるものだったのです。
しかし、東京五輪決定の2年前にあたる2011年、「ラグビーワールドカップ2019日本大会成功議員連盟」は動き出します。
この議員連盟は国立競技場を8万人規模に改築する案と神宮外苑地区の都市計画再整備を求める決議案を提出するのです。
さらに翌年、新国立競技場の建設が決定し、それを前提に2020年東京五輪の招致活動が始まった経過があるのです。
その結果、2013年に東京都は建物の高さ制限をそれまでの15メートルから最大80メートルにまで緩和しました。
2015年には、東京都とJSC(独立行政法人日本スポーツ振興センター)、明治神宮、高度技術社会推進協会、伊藤忠商事、日本オラクル、三井不動産が「神宮外苑地区まちづくりに係る基本覚書」を締結します。
このことによって高層ビル建設を含む神宮外苑地区の本格的な再開発に踏み出しました。
そして、この再開発計画こそ、森元総理が東京五輪誘致、新国立競技場建設にこだわった最大の目的だったのではないかと言われているのです。
そうみれば、このような構図は大阪関西万博と全く瓜二つのものであり、大きなプロジェクトの後では、常にこのような政治家の関与があると言っても良いでしょう。
新国立競技場を核とする神宮外苑再開発計画は、いまから20年以上前にすでにもちあがっていたようです。
2004年6月、あの巨大広告代理店・電通が「GAIEN PROJECT「21世紀の杜」企画提案書」なる企画書を作成して、ゼネコンや都庁、政界関係者などに持ち込んでいたことがわかっています。
この問題を報じた当時の「週刊金曜日」2005年3月18日号によると、企画書にはこんな文言が踊っていたといいます。
つづく