昨日の続きです。
再開発の歴史を振り返っています。
いろんな企業や団体の思惑が重なってきましたね。
この問題を報じた当時の「週刊金曜日」2005年3月18日号によると、企画書にはこんな文言が!
〈「最近の再開発はビルは高いが志が低い」とお嘆きの諸兄に 東京のド真中から 日本を変える 都志再開発のすすめ〉〈新しきビジネスモデルの原型は、故き神社の縁起にあり〉(原文ママ)
一体、これはなんだと思いませんか?
おふざけが過ぎて再開発の企画書とは思えない文言が躍っています。
これには理由があったのです。
この企画書には、外苑誕生100周年と東京五輪招致を組み合わせる、そして神宮球場をドームにする計画などの明治神宮が所有する土地を含む神宮外苑の再開発プランが示されていたのです。
その上、こうしたプランと申し合わせるかのように、明治神宮は財産処分に口を出すことができる神社本庁を04年7月に離脱していました。
このとき明治神宮の進退を決める総代会で総代を務めていたのは、なんと石原慎太郎その人だったのです。
実際、この問題に注目した「週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社)15年10月3日号の記事では、当時の明治神宮側の目論見についてこのように述べています。
〈当時、ドーム化に要する費用は300億円と見積もられたが、神宮単体でこれほどの資金は用意できない。
そこで、100億円は神宮所有の総合宴会場、明治記念館が捻出。
もう100億円は国費で、残り100億円を民間投資で賄う計画が立てられていた。
この民間投資の呼び水として、大手広告代理店(引用者注・電通のこと)を使った神宮外苑再開発プロジェクトがぶち上げられたという〉
要するに、招致活動で2億3千万円もの裏金ばらまきをはじめ、東京五輪をめぐるさまざまな疑惑に関わっているとされる電通という巨大広告代理店が、明治神宮と組んで、東京五輪招致を大義名分に神宮外苑再開発にもからんでいたという話なのです。
しかも、この企画にはさらに元があると言われています。
それは、電通の企画提案書が作成される1年前、JEM・PFI共同機構というゼネコンなどが加盟する団体が提案した「東京都防災まちづくり計画事業提案書」です。
この団体は平田篤胤(ひらた あつたね、安永5年8月24日〈1776年10月6日〉 - 天保14年閏9月11日〈1843年11月2日〉)は、江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者)を祀った平田神社の中に事務所があり、ゼネコンなどが加盟していました。
この計画は、神宮外苑を防災拠点とするという名目で高層マンション建設を提言するもので、電通の「GAIEN PROJECT」はこの計画を発展させたものだと言われています。
つづく